夕刊フジ創刊35周年記念
「夕刊フジの挑戦」の広報・宣伝のためのページです。

タイトル :「夕刊フジの挑戦」 本音ジャーナリズムの誕生
著者   :馬見塚 達雄 (元夕刊フジ編集局長)
出版社  :(株) 阪急コミュニケーションズ
定価   : 1680円(税込み)
発売   : 平成16年(2004年)9月上旬発行

この本に関する問い合わせ、取材申し込み、資料提供は (株)カイト で承ります。
〒103-0015 東京都中央区日本橋箱崎町20−5
Tel (03)3661−1725
Fax (03)3661−1798

内容
日本では受け入れにくいとして、長年封印されていたタブロイド新聞にあえていどんだ『夕刊フジ』。 既成の大新聞とは一味ちがう「本音ジャーナリズム」、「人間や事件を読者の目の高さで切る」スタンスが、 サラリーマンを中心にした層に支持され、「日本にいちばん活気があった」といわれる1970年代の”時代の風” にも乗って成長した。しかし、その道のりは平坦でなく、計画段階では四面楚歌であり、誕生前後は試行錯誤を重ね、 取材相手や販売大手からは軽んじられ、多くの苦渋をなめた。本書は、その夕刊フジの胎動期から誕生、そしてたちはだかる 壁を乗り越えて成長していった軌跡を、実際の紙面やそれにかかわった人々の証言などを通じて描いた物語である。

プロローグ
「なに?タブロイド新聞、ダメ、失敗に決まってる。朝日や毎日が手がけても長続きしなかったんだ。やめた方がいい」―新夕刊プロジェクトの 根回しがはじまったとき、社内世論は圧倒的に反対だった。
「ふざけるな!おれにこんなエロ新聞が作れるか」―編集トップに指名された大阪社会部長は東京で作った試作品をデスクにたたきつけ、社を辞めようかとまで悩んだ。
「ぼくらは、赤新聞をつくるために新聞記者になったんじゃあない。出向には部をあげて反対する」―主力部隊になるはずだった東京社会部の職場集会は荒れた。
「おれは床屋で読むような新聞をつくるために産経にきたのではない。賛成できない」―就任早々のカリスマ社長は最初の役員会でニベもなくしりぞけた。
「新夕刊に行けだと?バカにしやがって、それなら辞めて、誘われているよその週刊誌にいこう」―予想だにしなかった指名を受けて経済部のベテランは腹をくくった。
「場所ばかりとって安い新聞を置くより、ビールやジュースを売ったほうがよっぽど儲かるんだよ」―部数の積み上げを依頼する新夕刊代表と販売トップを鉄道弘済会の担当者は鼻であしらった。
  

 ◇   ◇

日本にもっとも活気があったといわれた一九七〇年代、大新聞とは一味ちがった本音の新聞として誕生した小新聞・夕刊フジ。 「人間を描く」「事件を読者の目の高さで切る」「タブーにしばられない」をモットーに、タブロイド夕刊ジャーナリズムを創造し、 サラリーマンを中心にした読者層の強い共感を得た夕刊フジも、星雲状態ともいえる誕生前夜までは、四面楚歌はおろか 身内にまで敵を抱える逆風にさらされていた。
  (本文のプロローグから)

各章の構成

第一章・胎動期
「有閑夫人に用はない?」
水野成夫の「筆誅新聞」案がルーツ
儲かっているのは「東スポ」だ
アメリカで得た成功のヒント
「タブロイドはダメ」と四面楚歌
朝・毎も挫折した歴史重く
「作りたい」「ヤバイ」トップも迷う

第二章 難産
「産経を辞めようか」と山路昭平
モデルは朝日の「人物天気図」
「床屋で読む新聞はイヤ」と新社長鹿内
「新夕刊にフジがええ」と小林米三
田中角栄の「ウンと積めや」で愁眉開く
大阪勢は前向き、東京勢は抵抗
新聞社の「一年だけ」は空手形で当然

第三章 時の運
三億円事件でシミュレーションの幸運
「やはり人だ」―慎太郎登場
「売れてない」「売り切れ」の一喜一憂
スクープ第一号「菊屋橋101」の波紋
警備員の「アッ」の一言が決め手に
カラーを欲張り失敗した月面写真
プロ野球の「黒い霧」スクープ裏話

第四章 三島事件
「売れたニュース」に時代の空気
「よど号」ハイジャック事件
夕刊フジの姿勢を明確にした三島事件
「℃O島の幻影£ヌうまじ」
新聞を立ち売りさせられた新聞記者

第五章・一九七二年
それは札幌五輪にはじまった
テレビ中継最長記録「あさま山荘事件」
寒さと銃撃に震え上った第一線
「よくぞ耐えた」と人質の妻に心打たれ
売りそこなった夕刊フジの失敗はなぜ?
日本赤軍ロッド空港事件へ飛ぶ
悲劇のミュンヘン五輪テロ

第六章・続テロの時代
「夕刊フジのほうがいい」と勧められ
雪の塩釜で悪戦苦闘のスクープ
一週間で現実になった幻のスクープ
ボツ原稿が生き返って社長賞
赤軍の女王重信を追う計画も幻に
カメラマンのツキと決定的瞬間

第七章・女兵士物語
諦めていた仏留学OKでガ然やる気
パリ人肉食事件から始まった奇縁
交換嬢の仮眠室にもぐりこんで
「人に会うのが楽しかった」千野
ジェット戦闘機を操縦した女性記者

第八章・ぴいぷる始末記(上)
「プライバシーをえぐれ」と言われても
新聞の視覚化ねらったレイアウトの工夫
℃オ色の変化球°使した異能記者・雪山
ついには宇宙語?でベルモント編
本人も楽しんだ熟女キラー原口
歌舞伎にのめりこんだ小田、古老専科遠山
◆最初の一年間で登場した人たち一覧

第九章・ぴいぷる始末記(下)
今も不思議な大江健三郎激怒のナゾ
本当に記者を辞めてしまった取材者
美少女は大トラブル、サユリストが我慢
純情だった百恵、ませていた聖子
若き日の大阪府知事は通産省のアイドル
飲ませて読ませた「いん・ぐらす」
円生師匠、宇能鴻、異色の顔ぶれ続々
ふぐ刺しガバリの豪快、世界の本塁打王

第十章・ビジネス面発進
「辞めてやる」第二号島谷の怒りと翻意
「青いセビロ」褒められてやる気ます
£E記者クラブ・断ゴルフ≠フ実践
値上げがチャンス、ビジネス面独立
夕刊フジで大きくなった若き日の俊英群像

第十一章 「匠の時代」
「二十五年を遡る記録がいまなお新鮮」
夕刊フジにも「匠の精神」をみた
「三つのI」こそ夕刊紙の真骨頂と内橋
「告訴が二つじゃあ甘い」と週刊誌編集長
「メザシの土光」にフジの持ち味

第十二章 連載小説・エッセー
医者から作曲家へターンして成功
「値上げだ、連載小説を充実しろ」
官能小説で警視庁に呼び出され苦肉の弁明
「山藤イラスト」でも大評判とる
ブレークした宇能鴻一郎「あつい夜」
司馬遼太郎が不登板だった意外な真相?

第十三章 狐狸庵余話
阿川嬢の胸ときめかせた「かねやん」記者
「狐狸庵怠談」成功させた名コンビ
「乞食を呼べ、女親分だ」と気まぐれな遠藤
「ロス疑惑」の三浦良枝に執心したナゾ
「ロス美談」から「疑惑」までの不思議な縁
西はグリコ、山口組抗争でないとダメ

第十四章 夜明けの野球記者
「寝る間もない」と整理部員ブーイング
「田淵に忠告」異色の手記が大反響
運動部長は過労から胃に穴があきダウン
「大阪は待てないよ」でアリ地獄脱出
トンガ力士奇談、「わいはアサシオや」
ヒロシマ鎮魂の日の異色野球記事

第十五章 「近藤節」の秘密
目からウロコの好著「野球を科学する」
親友でライバル「ON」の人間ドラマ
「プロフェッショナル」で大輪の花
あっと驚く忍者服部流の栃錦戦略
「無限に泳げる」フジヤマのトビウオ
「伝説男伝」にみせた近藤節のカギ

第十六章 競馬新時代を拓く
江川・角栄・ハイセイコー…昭和も遠く
「怪物」沈めたタケホープ嶋田騎手の秘話
ヤミに葬られた「クモハタ記念」の大誤審
ヘミングウェイもびっくり?の野心的試み
おもしろ予想の草分け「デメロン大作戦」
元祖穴党専科、天川光仁の鼻息
劇画の大御所・牛次郎の無名時代に

終章・思い出すままに
「選挙の夕刊フジ」の恩人美濃部さん!
「瀬戸内寂聴出家」スクープ断念秘話
「旅の宿」ライターの先駆者・野村画伯
釣り趣味が高じてプロになった「コイさん」
ヤンチャだった若者に手を焼いた管理部長
手作り、アナログの思い出は今も新鮮

「あとがき」
                

著者の略歴

馬見塚 達雄 馬見塚 達雄(まみづか・たつお)

1934年大分県生まれ、早稲田大学文学部卒。
56年、産経新聞社入社、立川、浦和支局をへて東京社会部。
68年、夕刊フジ創刊の特別準備本部へ出向、69年の創刊から
87年まで足掛け20年、夕刊フジ(一時はフジ新聞社)所属。
夕刊フジ報道部長、取締役編集局長をへて産経新聞に復社、
論説委員として社会問題、行政改革、地方自治などを担当、
客員論説委員をへてフリーに。
(財)日本鯨類研究所理事。
著・編書に『証言・長良川河口堰』(産経新聞社刊)

以上は「夕刊フジの挑戦」巻末の著者略歴からです。これでは硬いので 夕刊フジには合いません。夕刊フジ流に付け加えます。

◇ ◇ ◇

馬見塚さんに対する愛称は上司も後輩記者も「マミ」です。社会部のとき何か事件があると 「マミーよペンを取れ!」といわれました。この時代、「アニーよ銃を取れ」という映画があった のですが、それほど筆が早い書き手でした。

今回「夕刊フジ創刊当時のことを記録したものが欲しいという話が出たのが、2003年4月です。 「よし、書こう」とマミさんが腰をあげたのがその秋ごろ、年末には海外にまで取材の連絡をひろげ ました。「一応書いたけど」と連絡があったのは2004年春でした。執筆より出版社を決めるほうが 時間がかかったくらいです。

温厚で怒ったのを見たことがありません。せいぜい渋面をつくるくらいです。多くの上司は「これを書け」と 指示するだけですが、マミさんの場合、ここに行けばこういう資料がある、こういう構成でどうだ、という具体的な 内容つきで、ありがたかった人も多いはずです。

温厚にみえて時にとんでもなく頑迷固陋、独断専行です。喫煙が今ほど罪悪でなかったころ、もうもうと 煙が漂う編集局に突如「禁煙命令」を出したのです。喫煙組の怒るまいことか。辞める!とまでいうのもいました( 誰も辞めなかった)。酒も呑みません。酒もタバコもやらない社会部記者など珍しい部類にはいります。 当然宴会など大嫌いです。ゴルフもやりません。そりゃないだろう、じゃあもうひとつの方かとかんぐる方が いるかもしれません。そちらのほうも品行方正です。

10年ほど前になりますか。胃がんの手術を受けました。だいぶ痩せはしましたがその後も論説のハードな 仕事をこなし、今回さらさらと「夕刊フジの挑戦」を書き上げました。超人的ですが一方で「酒、タバコやらない マミさんががんになるなら」と喫煙、飲酒から抜けられない意志薄弱組の論理的支えにもなりました。

書評 のコーナー

夕刊フジの挑戦」に寄せられた感想・書評です。新聞、雑誌、あるいは取り上げられたテレビ番組を出来る限り紹介します。 このコーナーに寄せられたメールもあります。このほかにもご存知の方はメール、電話などでお知らせください。OBの方の思い出、実は・・・といった 話もここで取り上げます。


ブックランキング2位です

紀伊国屋大手町書店2位です。
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八重洲ブックセンターでは12位です。。
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各地の書店のブックランキングが出始めました。紀伊国屋書店は発売2週(9/18-9/25)でごらんのように「2位!」です(写真左)。 大手町書店と聞いて「やっぱりなあ」という人は業界人のいやらしさが染み付いた証拠です。 ならば、あの八重洲ブックセンター2Fベストセラーコーナーのランキング。「12位」(9/19-9/25)です(写真右)。まあまあではないですか。 でもこうした瞬間風速より牛のよだれのように売れていくのが理想なんですが。この本がどのような売れ方をするのか、あまりに当事者すぎて 判断がつきません。


書評第一号です

※このメールは最初に寄せられた書評です。なにしろ9月12日という発売前です。大場善明氏は小生の馬術部での先輩ですが、それより 読売新聞広告局長をつとめられたマスコミ人としての立場からの一文です。

>  今朝のお知らせでは発売が13日(月)とのことでしたが、予
> 約しておこうと思って本屋(錦糸町・熊沢書店)へ足を運びました。
> 店員に「ちょっと待ってください」と待たされること30分。
> ニコニコ戻ってきたくだんの店員「この本ですね」に 当方ビックリ。「今朝と
> どいた入荷の中にありました」とのこと。<部外者> では 購入「一番乗り」で
> はないかと 内心嬉しくなっちゃいました。

>  渡されたギンギラギンの「新刊本」。貴兄の宣伝では「ソフトカバー」の「2
> 80ページ」というから たぶん「慎太郎」のフロントページをバックに オレ
> ンジ色の炎をあしらい 新書判なみの手軽なものを想像してました(元広告
> 屋の発想です)。

> ところがまったくの「白地」に 太々と黒字で「挑戦」の文字がやけに大きく見
> える明快な装丁。ページも「310ページ」 著者の自信のほどが伝わります。
> まさに著者が言う「本音の」「人間くさい」内容が 余すところなく描写されて
> います。えてしてこれまでの「回顧録」は執筆を何人かで分担し ほとんどの
> 場合 サクセスストーリー「ヤッターマン」のオンパレードのものが多い。しか
> し この「夕刊フジの挑戦」は 著者「馬見塚さん」の首尾一貫した冷静な目
> で緻密に分析され さらに事件前後の模様を さらに確認取材されてまとめ
> られた筆勢に無駄がない。「新聞記者」の「正しい」「公平な」視点で貫かれて
> いることに 深い共感を覚えました。

>  いずれのページも現場の迫真力、ドキュメントの連続に 活字からしか得ら
> れない臨場感に浸ることが出来ます。当時の皆さんがセクショナリズムを捨て
> て 総力をあげて創刊に挑まれた様子が良く分かりました。新プロジェクトに
> 「トップ級は温存して、二番手、三番手以下がふつう。ひどいところはお荷物
> のようなものを出してくる」(P43)  私の経験からもまさにその通りだ。
> 自分のいた新聞しか知らないが 「取材記者」「整理記者」 いずれも「硬派」
> と「軟派」が一緒に融合して ホンネの仕事をしているのは見かけたことがな
> い。歴史の「源氏と平家」よろしく いつも「硬派」と「軟派」がリーダー争い
> して居たように振り返ることができる。総力をあげ 血気盛んな侍どもを束ね
> た「夕刊フジ」のリーダーとの大きな違いです。

> 私の営業的経験から「ひと・ぴーぷる」欄は 当然売り込みもある
> だろう。また取材される側のイメージに合わないと 誤解される記事の後始末
> には 「ゼニを稼ぐ」立場からとても苦労するものだ。しかし相手に軟弱に擦り
> 寄る「ヨイショ」に背を向けた編集方針は なかなか真似のできることことでは
> ない。記者個人個人の感性と意気込みが その高い評価の何よりも証拠だろ
> うと あらためて感動しました。 

P/S 
>  それにしても「夕刊フジ」創刊の時代は 大きな時代の曲がり角だったことを
> あらためて勉強しました。
> 20世紀、1960年代までは日中戦争、太平洋戦争、朝鮮動乱、ベトナム戦争
> と 経済資源と市場の争奪「戦争の時代」。70年代からは基本的には「宗教
> の時代」。その手段として「大規模なテロの時代」とでも言うのだろうか。イラ
> ンイラク戦争は ちょうどその中間に当たるのではないかと思うが 根底は
> 「宗教の覇権争い」ではないかと考える。すなわち時代が「本音の価値観」
> 「人間らしさ」を要求していたのだと思う。既成のマスコミは それに気がつい
> てながら 対応が遅れていたのだろう。
> 今回の「夕刊フジの挑戦」は いちはやくそれを実行できた「真のマスコミ」と
> しての評価が 高く称賛される所以ではないだろうか。この「本」は 今後
   > 資料としても十分に活用できる内容で 私も利用させてもらおうと思う。
  > (大場善明拝)


夕刊フジの記事(9/14)

馬見塚さんインタビュー
発売翌日9/14の夕刊フジの
「著者インタビュー」
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発売翌日の9月14日”早くも”夕刊フジに記事が掲載されました。早いですねー、正確ですねー、誰が書いたのでしょうか。 みればなんと三保谷浩輝・記者でした。20年前の新人です。そのときの同期は、勅使川原豊・報道部長、別府育郎・運動部長 だというのですから、こっちもトシを食うわけです。

文中「メザシ土光にゴルフ善幸」の話が出てきます。正確には「メザシ土光、ゴルフ善幸」という見出しになっているはずです。 この夜は私(宮崎)と加藤雅巳君でした。つぎはぎ原稿を仕立て直して夜遅くなってました。このころは書いた記者 が捨て見出しもつけることになっていました。整理部長が「タテ見出しは10文字しか入らん!」というのを拝み倒して「、」(読点) 半角まけてもらって「10文字半」にしたからよくおぼえているのです。

★ ★ ★

上の記事は「夕刊フジblog」に転載されています。下のバナーをクリックすれば飛びます。


夕刊フジに載った全広(9/15)

「夕刊フジの挑戦」全面広告
9月15日の夕刊フジに掲載された出版元の
全面広告はあの「ぴいぷる・いん・ぐらす」
の手法です
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9月15日出版元の阪急コミュニケーションズが夕刊フジに出した全面広告はサントリーが長年続けて好評だったあの「ぴいぷる・いん・ぐらす」の手法。 馬見塚さんのアイデアがあちこちに。いまも出版業界を担当している広告部の大日方君はじめ部員のみなさんが協力してくれました。


産経新聞の書評(10/3)

産経10/3付け書評
産経10/3付 書評
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左は産経WEBからのテキスト。

草創期「サムライ」の反骨精神

 「オレンジ色のにくい奴…」
 小学校の三年か四年生だった
ろうか。昭和四十四年二月に創
刊した夕刊フジのテレビCM。
カラーテレビもまだ普及途上だ
ったように記憶している。

 ネクタイを締めたサラリーマ
ン風の青年が、しゃがみこんで
たき火の炎の中に木をくべる。
続いて炎が大写しになり、冒頭
のフレーズが流れる。確かそん
な内容だった。

 何でサラリーマンがたき火な
のか、どこがにくい奴なのか、
子供心にも意味がよくわからな
かったが、文句と色鮮やかな題
字は三十五年たった今も鮮明に
頭の中に残っている。

 東京でも大阪でも今や、駅の
売店では“当たり前の存在”に
なっている夕刊フジだが、当時
の夕刊紙市場にあって、タブロ
イド判という異質性ゆえに「失
敗する」という声も強く、発行
主体である産経新聞の社長にも
反対されるという、まさに逆風
の中での船出だった。

 海のものとも山のものともわ
からない新聞への異動内示を受
けて退社を決意した記者も少な
くなかったというが、本書から
は反骨精神をばねに挑戦を続け
た「サムライ」たちの息づかい
がびんびんと伝わってくる。

 内輪話といってしまえばそれ
までだが、「ニュースの原点は
人」という編集方針は、情報が
氾濫(はんらん)する現代社会に
おいても新鮮さを失っていない。

 記者クラブなどに頼らず、知
恵を絞って足で稼ぐという取材
手法は、「新聞記者像」が揺ら
ぐ昨今にあって、自戒を込めて
教えられることが多い。

 後輩記者によれば、創刊準備
から足かけ二十年にわたりフジ
に携わり、後年は報道部長、編
集局長として陣頭指揮を取った
著者が数年前に大手術を受けた
後、「渾身(こんしん)の力を込め
て書き上げた」のが本書という。

 東京の夕刊紙市場に“殴りこ
み”をかけた草創期のフジの屋
台骨となったのが、大阪の記者
たちだったという事実も、いか
にも同紙の反骨精神を象徴して
いるようで、興味深い。

文化部 片山雅文


全国の図書館に入り始めました(10/19)

「夕刊フジの挑戦」が全国の公立図書館に入り始めました。
各図書館が検索のため自分のところのホームページに「新刊案内」のような形で掲載します。これが Googleなどの検索ロボットに拾われるので分かるのですが、10月中旬現在で拾ったところでは以下のような ところに入っています。

重点配置されているので、近所の本屋にないというときは、最寄の図書館を一度のぞいてもらうといいかもしれません。 なくても書名をあげると取り寄せてくれるところも多いのでおすすめです。

  ○横浜市立図書館  ○埼玉県立図書館  ○群馬県太田市立図書館
  ○大阪府立図書館 ○岡山県長船町中央図書館  ○犬山市立図書館
  ○堺市立図書館 ○筑紫野市民図書館  ○愛知県大府市中央図書館
  ○杉並区立図書館 ○江東区立図書館 ○札幌市図書館 
  ○郡山市図書館 ○川崎市立図書館 ○豊中市立図書館  
  ○岩国市立中央図書館 ○高松市図書館 ○可児市立図書館
  ○大和郡山市立図書館 ○板橋区立図書館 ○苅田町立図書館(福岡県)
  ○生駒市立図書館(奈良県) ○前橋市立図書館 ○東広島市立図書館
  ○舞阪町立図書館(静岡県) ○姫路市立図書館 ○鹿児島市立図書館
  ○大分市民図書館 ○光町立図書館(千葉県) ○富士見市立図書館(埼玉県)
  ○楠町立中央図書館図書室(三重県) ○鳥取県立図書館 ○千葉市図書館
   その他


フジテレビで放映されました(10月12日)

10月12日早朝の「めざましテレビ」でくわしく紹介していただきました。馬見塚さんによると、「かなりていねいにやってくれました。 夕刊フジのバックナンバーや、そのころの編集局風景を撮った写真まで入れて。太田(英昭)くんの担当ですから、大サービスだったと 思います。夕刊フジの高尾現代表が相当プッシュしてくれたようで、太田くんともども、お礼をいっておきました。なお、ビデオに とってありますが、もし見たい人がいたらお貸しします」とのこと。

やや楽屋落ちになるのを承知で紹介したのは、あちこちにOBがいて、それぞれに愛着をもっていてくれるのだということを知っていただきたかった からです。


「週刊読書人」の書評(11/5)

「週刊読書人」書評
「週刊読書人」書評(11月5日)
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「夕刊フジは新聞界の11PMだった」などユニークな書評をしていただいています。筆者の諸橋泰樹氏は、フェリス女学院大学教授でメディア論専攻の方です。 「ジェンダーの罠 とらわれの女と男」(批評社 )などの著作があります。


「社内広報」の書評(10、11月号)

「社内広報」
「社内広報」書評(10、11月号
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「社内広報」は日本経団連社内広報センター発行で、加盟企業に社内報などのつくり方を指導しているところです。かつて夕刊フジOBの島谷康彦氏が関係していた ところです。(違ってたらごめんなさい)


月刊誌「MONEY」に載った佐高信氏の書評

佐高信氏の書評
佐高信氏の書評
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ご自分で書かれているように、辛口評論でなる経済評論家、佐高信氏は夕刊フジでデビューされた方です。編集局を島谷康彦・経済部長の後ろにしたがって 歩いていたのを記憶しています。内橋克人氏のことにも触れていますが、島谷人脈のお二人は今も夕刊フジを愛することで人後に落ちません。

ごらんのように、月刊誌「MONEY」(11月号)で佐高信氏は 「三島事件」での夕刊フジの記事を引き「今は、『朝日新聞』でさえ、ここまで書けるか疑問である」としています。


「日販通信」11月号に載った書評

「日販通信」11月号
「日販通信」11月号

日販は書籍取次ぎの大手ですが、ここが発行する月刊書籍雑誌「日販通信」に「見参ベストセラー」という金田浩一呂氏のコーナーがあります。11月号で 金田老人の書評が載りました。「(手前味噌になるので)すこし遠慮しました」そうです。

「見参ベストセラー」
金やんの「見参ベストセラー」のコーナー
曰く。「馬見塚達雄著『夕刊フジの挑戦』(阪急コミュニケーションズ)は、創刊当時(1969年)の鹿内信隆・産経新聞社長が役員会で 真っ向から反対したのをはじめ、社内でも総スカンだったタブロイド紙が、どうやって作られ、サラリーマン読者の心を掴んだのか が秘話を含め、忌憚なく書かれています。

著者は同紙元編集局長ですが、この手の本にありがちな自慢話や逆の批判に終始せず、当時の特ダネや逆の失敗談など 率直な語り口で面白く読ませてくれます。」

「夕刊紙創刊の秘話」とサブタイトルにありますが、自分もその一員だったことや本の中でふんだんに金やんが登場することなど から筆がにぶったようです。

「有鄰」11月10日号に載った書評

「有鄰」
「有鄰」11月10日号

これも金田浩一呂老人の息がかかった書評ですが、有隣堂が書店向けに発行している新聞「有鄰」11月10日号に老人の筆になる書評が載りました。 題字をわざわざ掲載したのは、この旧字の書は武者小路実篤の筆だとあったからです。

「有鄰」の書評
「有鄰」11月10日号掲載の書評
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「電通報」の書評(11月8日号)

「電通報」
「電通報」書評(11月8日号)
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電通の産経担当が同時に夕刊フジの営業局に出入りすることになります。その数、創刊以来もう2ケタをゆうに越す人数になるでしょう。版下のサイズが違うので、 夕刊フジのために特別にタブロイド用を用意しなければならない関係もあって、手間がかかる分思いいれも深いようで、それぞれに深く関わってもらいました。 その電通が発行する「電通報」に載った書評です。



月刊「へら専科」の書評(2月号)

「へら専科」
「へら専科」書評(2月号)
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暮れも押し詰まってから、馬見塚さんから手紙が来ました。「同封したのは、昔の仲間だった整理の川上浩一郎くん(ペンネーム、魚昇) が定期執筆している月刊誌「へら専科」2月号に書いてくれたものです」とありました。

文中に「釣り趣味が高じてプロになったコイさん」とありますが、最近(11月22日)、夕刊フジの釣キチ三羽烏(川上、馬見塚、西出義宗)で千葉 にへら釣りに行ったようです。めちゃくちゃ釣れたようです。夕刊フジ創刊35周年のご祝儀でしょうか。どこから発掘されたのか、 掲載されている山路昭平氏の写真の若いこと。こちらが驚きでした。

実は私(宮崎)も川上さんに連れられて魚釣りに行ったことがあります(ヘラかフナかもおぼえていない)。「浮きに合わせる」指導を受けたのですが、 長女を連れて行ったのが間違いで、田んぼの中を走り回るので、それどころではなく、竿を水につけたまま放り出して世話にあけくれました。 川上さんのお子さんは少しトシ上であきれてました。以後二度とお誘いはかかりません。その娘にまもなく子供が生まれます。



「週刊朝日」の書評

「週刊朝日」
「週刊朝日」書評(11月中旬号)
(クリックで読めるサイズに 拡大されます)

当時編集局にいた人は知っていることですが、夕刊フジのライバルはゲンダイではありませんでした。山路さんが名編集長の名をほしいままにした 扇谷正造氏(昭和二十二年(1947)「週刊朝日」編集長に就任以来、数々の手法で爆発的に部数を伸ばした)と交流があり、なにかとアドバイスされた こともありますが、 ニュースの切り口、スタンス、連載のあり方・・・「週刊朝日」をライバルにしていました。

向こうも一時期、夕刊フジを意識した、と聞かされたこともあります。企画がぶつかったときなど互いにできばえを比較したくらいです。2004年11月中旬発行の 「週刊朝日」に小さいながら書評が出ました。小さい記事でも自分の言葉で書く、相変わらずの姿勢が垣間見える書評です。


2006年末になって産経新聞に載った書評

発行からだいぶ経った2006年の師走に入って、産経新聞文化部の片山雅文記者の書評が出ているのをネット検索で知った。 掲載までの経緯は、馬見塚さんならご存知かもしれないが、ともかく書評を紹介しておく。

『「夕刊フジ」の挑戦』 馬見塚達雄著
 ■草創期「サムライ」の反骨精神
 

「オレンジ色のにくい奴…」

 

小学校の3年か4年生だったろうか。昭和44年2月に創刊した夕刊フジのテレビCM。カラーテレビもまだ普及途上だったように記憶している。

 

ネクタイを締めたサラリーマン風の青年が、しゃがみこんでたき火の炎の中に木をくべる。続いて炎が大写しになり、冒頭のフレーズが流れる。確かそんな内容だった。

 

何でサラリーマンがたき火なのか、どこがにくい奴なのか、子供心にも意味がよくわからなかったが、文句と色鮮やかな題字は35年たった今も鮮明に頭の中に残っている。

 

東京でも大阪でも今や、駅の売店では“当たり前の存在”になっている夕刊フジだが、当時の夕刊紙市場にあって、タブロイド判という異質性ゆえに「失敗する」という声も強く、発行主体である産経新聞の社長にも反対されるという、まさに逆風の中での船出だった。

 

海のものとも山のものともわからない新聞への異動内示を受けて退社を決意した記者も少なくなかったというが、本書からは反骨精神をばねに挑戦を続けた「サムライ」たちの息づかいがびんびんと伝わってくる。

 

内輪話といってしまえばそれまでだが、「ニュースの原点は人」という編集方針は、情報が氾濫(はんらん)する現代社会においても新鮮さを失っていない。

 

記者クラブなどに頼らず、知恵を絞って足で稼ぐという取材手法は、「新聞記者像」が揺らぐ昨今にあって、自戒を込めて教えられることが多い。

 

後輩記者によれば、創刊準備から足かけ20年にわたりフジに携わり、後年は報道部長、編集局長として陣頭指揮を取った著者が数年前に大手術を受けた後、「渾身(こんしん)の力を込めて書き上げた」のが本書という。

 

東京の夕刊紙市場に“殴りこみ”をかけた草創期のフジの屋台骨となったのが、大阪の記者たちだったという事実も、いかにも同紙の反骨精神を象徴しているようで、興味深い。(阪急コミュニケーションズ・1680円)

 文化部 片山雅文
(2006/12/01 14:28)