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夕刊フジOB 掲示板
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土屋達彦氏の出版記念の集い 投稿者:宮崎健 投稿日:2013/10/20(Sun) 15:01 No.847  
夕刊フジ報道部の仲間で現在闘病中の土屋達彦氏が病床で書き上げた大作ドキュメンタリー「叛乱の時代ーペンが挑んだ現場」(トランスビュー社刊)の出版記念の集いが10月17日夕有楽町の外国特派員協会でありました。

夕刊フジからは山路昭平夫人、馬見塚達雄、志波吉勝、石川荘太郎、加藤雅巳、宮崎健の5氏が出席しました。長期に渡る入院生活を送りながら書き上げた闘志は大変なもので感銘を受けました。当日の模様をOBのページに掲載しました。


生きている人と亡くなった人と 投稿者:馬見塚達雄 投稿日:2008/01/03(Thu) 09:59 No.248  
正月2日午後、横浜の山路邸に昔のメンバーが年賀に集まりました。最長老の丸山正一さん、島谷、松村、生原の諸氏と僕、遅くなって別府現夕刊フジ編集局長の6人。山路さんは15日に検査入院を控えているとのことでしたが、結構酒は飲んでました。話題? もっぱらヒトのウワサ(おおむね悪口)と某新聞への批判。皆さん、体力の衰えを隠せませんが、口だけは達者。例年、早めに切り上げようと言いながら、結局8時過ぎまで居座って、奥様に迷惑をかけてしまいました。反省。
その席で、先の森博くんの訃報につづいて昔の仲間2人の訃報が知らされ、一同しばしシンミリ。早く夕刊フジを離れたのでご記憶かどうか、報道部のデスクを兼ねていた大貫昇さん(のち産経外信部)と、報道部記者(のちフリーライター)だった井出耕也くんで、ともに暮れに亡くなったそうです。合掌。
なお、生きている者で今年も「おれんじ会」をやろうということになりました。日時、場所は未定ですが、陽気のよい時期に、今回は都内にしようかというあたりです。ふるってのご参加を。


山路昭平氏が亡くなりました 投稿者:宮崎 健 投稿日:2011/05/25(Wed) 08:12 No.737  
2011年5月25日午前6時20分、山路昭平氏がU型呼吸不全で亡くなりました。83歳。葬儀は無宗教で、山路家と産経新聞社、岡山放送、サンケイリビング新聞社の合同葬。葬儀委員長は清原武彦産経新聞会長。喪主は洋子夫人。
通夜   27日(金)午後6時ー7時
告別式  28日(土)午前11時ー午後0時30分
いずれも横浜市金沢区谷津町384 「京急メモリアル金沢文庫斎場」(045-784-9833)
京急金沢文庫東口駅前。
自宅は横浜市金沢区谷津町40-88
通夜では馬見塚達雄氏、告別式では松村幸夫氏がそれぞれ夕刊フジを代表して弔辞をささげます。
◇◇◇
ご存知の通り癇癪もちでしたが、山路さんらしい最後でした。3か月前に自宅で転倒して肋骨骨折、入院後今度はベッドから転落(本人が暴れたのが原因)肋骨7本を折ッたうえ肺出血を起こし一時は危篤状態に陥りました。

そのご意識不明のまま入院、治療を続けていましたが、ゴールデンウイークにはもしやということもあり、夕刊フジOBは馬見塚さんを連絡役に見舞いも控えて待機していました。

18日ようやく退院、自宅治療を続けていました。退院と言うので周りも安堵したのですが、まだ意識はさだかではなく、会話や意思疎通などもほとんどできず、食事も以前から本人が「拒食症」状態なので家族(おもに夫人)が「胃ロウ」という方法で管で胃に直接栄養分を注入するという手のかかる自宅治療法を続けました。亡くなる直前、ふたたび容態が悪化、救急車が呼ばれましたが例によって、大丈夫だから帰れ、と本人は救急隊員に命令する始末。

自宅前で救急車に乗せるまで1時間以上かかるという騒ぎを演じた挙句、無理やり運ばれたものの肺気腫などの既往症があり、表記の病名のほかたくさんの病名が並んでいました。枕頭で「おっさん、これは自損行為でっせ」と言いましたが、いつものように青シャツ専科のダンディーな寝顔でした。

私事ですが、創刊時「このゴシップを載せるような新聞なら会社を辞める」といったら、原稿をその場でゴミ箱に放り込んでくれたのが山路さんでした。私が最後まで新聞記者としての人生をまっとうできたのは、山路昭平という理不尽ではあるが一本筋が通った編集者のおかげだと思っています。



大盛り上がりでした 投稿者:馬見塚達雄 投稿日:2007/06/01(Fri) 10:17 No.211  
第2回「おれんじ会」を5月30日、箱根「彫刻の森クラブ」にて一泊の「全舷スタイル」で催しました。ウィークデーの宿泊ということで、20人も集まればと予想していたのですが、なんと30人の参加(日帰り4人)。遠く九州・佐賀から村井禮仁ダンナが若くてきれいな奥方同伴のほか、群馬・高崎から大山宰治、栃木・小山から本光繁幸、千葉のはずれの旭から細野憲昭の諸氏、腰を痛めて歩行もままならぬ原口順安大兄まで出席してくれ、御大・山路昭平さんの欠席という一抹の寂しさを吹き飛ばす大盛り上がり。
一次会、二次会は全員で。夜半、3〜5人ずつの部屋にもどっても飲み続け、一応は寝たものの、すぐに起き出して夜明け前から朝食の8時まで延々とのみつづける剛の者も。
あいにくというか、当日も翌31日も雨模様で、野外美術館の彫刻見物にはいささか不向きでしたが、そのかわりに室内での歓談にはいっそう花が咲いたし、翌日も匂いたつような箱根の山々の新緑に目をあらわれながら旅の帰り、オゾン一杯の空気を吸って、確実に寿命はのびました。
もちろん来年もやります。やはり5月のGW明けくらいになるでしょう。屋形船、全舷につづき、また趣向をこらすつもりです。今回の都合で参加できなかった諸兄、とくにウィークデーでは無理だった若い諸兄も参加できるような日程、場所を考えます。なにかいいアイデアがあったら、世話人にお知らせを。


Re: 大盛り上がりでした 宮崎 健 - 2007/06/01(Fri) 12:51 No.212  

確かに大変盛り上がりました。いい歳をしたおっさんが昔話に熱中する姿はほほえましいものでした。やはり青春、あるいはその前後の一時期をタブロイドの新聞に熱中した共通の思い入れのなせる業でしょう。受け継いだ連中の時代には落ち目というのは淋しいですが。

メンバーを見ていて@遠い人ほど熱心に駆けつけるのはなぜだろうA昔大きい顔していたひとほど疎遠なのはなぜだろうB営業の連中に往時を懐かしむ風潮がないのはなぜだろうC歳をとるほど参加率がいいのはなぜだろう・・・と考えました。来年はこのあたりを考えましょう。

週末はいませんが集合写真などが集まって来るでしょうから順次掲載いたします。みなさんいい表情をしていました。


山口昌子さんの叙勲式24日に 投稿者:宮崎健 投稿日:2013/06/20(Thu) 13:30 No.834  
長年パリ支局長を務めた山口昌子さんがレジオン・ドヌール勲章を受けることはご承知と思います。

大使の交代などで遅れたようですが、24日夕、フランス大使館公邸で彼女への叙勲式が行われます。夕刊フジを代表して馬見塚さんと宮崎が出席することになりましたので、おって写真などが掲載出来るかと思います。

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