松村幸夫さんが去る3月16日に亡くなりました。葬儀は近親者のみですませ ています。ご本人の生前からの意向で、公にすることは控えていましたが、8日(月曜日)に夕刊フジ時代の同志で、「おれんじ会」の幹事だった者や、松村さんとの縁がもっとも深かった故山路昭平社長の洋子夫人らと目黒区のご自宅にお線香をあげに行ってきました。維予子夫人もいくぶん気持ちの整理がつかれたようで、一同ホッとしています。これで一区切りがついたので、この欄でお知らせします。 松村さんは夕刊フジ創刊時、永田照海さんや山路さんらと、大阪産経から昭和43年に上京、整理の直接の担当者として「オレンジ色のにくいヤツ」の斬新な紙面構成を作り上げました。その後、営業に転じて、編集とのコラボを成功させるなど、夕刊フジ発展に大きな役割を果たしました。産経本紙に抜擢されてからも常務取締役営業局長を務め、退職後も広告会社を立ち上げて後年まで精力的に活躍していました。ご冥福を祈ります。
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