「同性婚認めないのは合憲」…至極もっともな東京高裁判決

 いまの法制度が同性婚を認めないことは憲法違反だとして、性的マイノリティー8人が国を訴えた控訴審で28日、東京高裁(東亜由美裁判長)は「合憲」との判決をくだした。

 判決は「夫婦とその子」を「基本的な家族の姿」として想定した現状の法制度は合理的だとしたうえで、同性婚が認められていないことは、「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反していないなどと判断した。

 同種の訴訟では、各地の5高裁の判決がいずれも「違憲」と判断していて、今度の6件目の東京高裁判決が初めて「合憲」判断となった。ブログ子はリベラル派が幅を利かせる最近の風潮が裁判にも及んできた現状を嘆かわしいと思っていたものの5高裁と同じだろうとあきらめていただけに、やっとまともな判断が出たかと言う思いだった。

トランスジェンダー男性で、パートナーとともに子育てをしているという原告の一人は「怒りに震えて涙が出ました。判決文を読んだら、家族は男女のカップルと、そこから生まれた子どもがほぼ100%だとあった。私たち家族のあり方が否定されたと思いました」

気持はわかるが、同性愛者を認めないと言っているのではない。憲法違反という彼らの主張に対して、現下の憲法は同性婚を想定していない、別途立法府の裁量が必要だと述べているにすぎない。

今回の判決は、現代では同性婚が「一つの家族の姿として社会的承認を受けている」と評価し、国民感情の点でも同性婚に関する法律がつくられることへの理解が広まっていることも指摘している。

法律を学ぶとき最初に出くわすのが「自然法」と「人定法」である。次にどちらが優先されるかと言う問題にぶち当たる。

ブログ子は「自然(理性・道徳・正義)に基づく普遍的法が“上位”にあり、人為的に作られた人定法はそれに反すると無効または不当である」という立場だが、現代的解釈では「歴史的にも現代法理論でも “一律にどちらが上位” と決めることはできない」というのが「正解」になっている。

現代の法体系では、「価値」では自然法が上位にあり、「効力」では人定法(制定法)が上位という解釈だ。日本はどうかと言うと、多くの憲法国家と同じく典型的な「折衷型」になっている。

憲法前文・13条・97条など人間の尊厳や基本的人権を“普遍”と述べ、自然法的価値を明確に承認していて、法律が有効かどうかは憲法→法律→命令→条例の階層で決まる実証主義だ。裁判所は原則として憲法と人権を最上位に置くが、自然法を直接の判断基準にするわけではない。

どこから見ても、今回の東京高裁の「合憲」判決は妥当かつ、もっとも至極である。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です