ワインの新酒「ボージョレ・ヌーボー」が今年も11月20日午前0時に解禁された。それから1か月たったが新聞でもテレビでもとんと噂を聞かない。例年なら秋の風物詩として大騒ぎしているのに、はてどうしたことか、と調べると「輸入量は最盛期から8割も減っている」(時事通信)そうで、いまや話題にもならなくなっているという惨状だという。

それ見たことか、というのがブログ子の感想だ。2,3年前にこのブログで、「つくられたボージョレ・ヌーボー騒動」と糾弾した覚えがある。フランスで1本300円ほどの「安酒」が日本で3000円以上でもてはやされるのはおかしかろう、という主旨だった。
そもそもボージョレ・ヌーボーとは何か、というところから説明しなければならない。「ボージョレ(Beaujolais)」とはブルゴーニュ地方南部のボジョレー地区を指す地名。 「ヌーボー(Nouveau)」はフランス語で「新しい」という意味で「ボージョレ地区の新酒」という意味。
熟成を目的としたワインではなく、その年のブドウの出来を楽しむための「季節限定ワイン」で 製法には「マセラシオン・カルボニック(炭酸ガス浸漬法)」が用いられ、強制発酵させて果実味を強調した仕上がりになる。もともとは収穫を祝うために地元リヨンのビストロで楽しまれていたものが、やがてパリや世界に広がった。
広まったものの1951年に粗悪品が出回るようになって、政府が乗り出し、1985年から現在の「毎年 11月の第3木曜日 」に世界同時解禁と統一された。
なぜ日本でブームになったかというと、サントリーの巧妙な作戦があった。サントリー宣伝部は開高健、山口瞳以来の宣伝上手で知られるが、この解禁日に目を付けた。
日付変更線の関係で、日本はフランスよりも早く解禁日を迎える。そこで「世界で最初にボージョレを飲める国」として宣伝したのだ。この「一番乗り」感は日本人の限定好き・初物好きの文化に強く響き、ほかの酒造メーカーやホテル業界、いち早く運ぶために貨物便を飛ばす航空会社がこぞて参加して各地での深夜のカウントダウンイベントやパーティーが定番化した。
ブログ子はこのときホテル業界と酒造会社を担当していたので赤坂プリンスホテルでのヌーボーパーティーを知っているのだが、サントリーの鳥居信治郎社長と息子(のち社長)の信宏父子やプリンスホテルの堤義明社長が居並ぶ中で当時プリンスホテルの田崎信也ソムリエが身の丈以上に積み上げられたシャンパンタワーの最上部にボージョレー・ヌーボーを流し込み、みんなで乾杯したシーンを覚えている。

それが前述のようなブームの終焉である。とうとうワイン販売大手「メルシャン」は2025年、ボージョレ・ヌーボーの発売を見送った。需要の低迷に加え、「エネルギーコストや航空運賃の高騰、空輸による環境負荷への影響を鑑みた」(キリン担当者)と明かす。グループ会社による通信販売は継続する。
「メルシャン」は現在はキリンホールディングスの傘下にあるが当時は「三楽酒造」といって焼酎や合成日本酒をつくっていてその一部に「メルシャン」というワインも手掛けていたのだが、従兄が役員をしていたので、新宿十二社(じゅうにそう)あたりに売り込みに回っていたものである。
サントリーは「100年に一度の出来」「21世紀最高の出来栄え」といった大げさなキャッチコピーを繰り返し使った。これに乗った新聞テレビがニュースにして喧伝、それをまた大きな広告で話題化するという相乗作用で膨れ上がったのだが、やはり「作られたブーム」である。どこかで壊れる運命だったのだろう。
フランスでは収穫を祝うカジュアルな新酒として静かに楽しまれる程度で値段も安いままである。日本でもそのようにありたいものだ。