「レジェンド(伝説)」と呼ばれる男に、新たな歴史の一ページが加わった瞬間だった。今年の流行語大賞に加わるだろうが、ブログ子は葛西についてもう出なくていいだろう、後進に道を譲ったほうがいいとかねがね考えていた。ブログ子は札幌五輪では取材団の一角にいて日本選手がメダルを独占したシャンツエにいた。カンテの最上部に行ったが、恐怖でつかまり立ちしないと歩けない。緊張で陰になる雪の壁には選手が放尿したあとが点々としていていた。今回ソチのスタート台を見るとちゃんとトイレが設置されていたが、ここから「落ちる」勇気に感嘆し、以来ジャンパーを尊敬することにしている。
だが、葛西がこれまで見舞われた不幸については知らなかった。両親と姉妹2人の家族の中で最愛の母を火事が原因で亡くしたのは、長野五輪を翌年に控えた97年。長野五輪では故障でメダルを取った選手団の中にはいなかった。妹、久美子さん(36)は重い病で現在も闘病中だ。
ソチの空を飛んだ悲運のエースのサイドストーリーを知った後では、五輪の個人種目で初の表彰台にたった葛西を見て涙がこぼれた。「もう後輩に譲れ」と思ったことが悔やまれた。葛西選手は表彰台で右手の拳を突き上げてジャンプし、喜びを体いっぱいに表現した。「自分の力ずくで取ったメダルなので」と喜び、次の韓国冬季五輪(平晶)も目指すと聞いた時には「がんばれ」と声援していた。
フィギュアスケートで金メダルを獲得した羽生結弦選手(19)のコメントも素晴らしい。日本のフィギュアスケート金メダルは2006年トリノ五輪での荒川静香以来、2個目だが、男子としては史上初の快挙だ。メダルの感触を「すごく重い。とにかくうれしい。君が代が流れて日本代表として 誇らしい気持ちになった。日本の人たちと一緒に喜びを分かち合いたい」と顔をほころばせた。
「日本の国旗が一番はしっこで、ロシアの国旗の隣のほうにあったので、日本の国旗にありがとうございましたっていうことを伝えました」
「やはりオリンピックっていうのは、日本代表をものすごく感じますし、ときにはそれが重いなーという感じもするんですけど、今回は本当に日本をしょって日本の代表として誇らしい結果を出せたなという風に思ったので、日本の国旗・日本の国、それとあと応援してくださった日本の方々に、感謝の気持ちをこめました」
「被災した方々に自分が直接なにかできるという立場にはないけれどメダルを取ったことで気持ちの上でなにがしかのお役にたてたかもしれないと思うと誇らしい」
「日本の為に」 「日本人として」 「日本代表として誇らしい」 と繰り返し、日本と被災地の思いを背負っているという気持ちが
コメントの節々にあふれていて19歳の青年がいつの間にこうした「芯」を身に着けたのかと感心した。「君が代」にもきちんと声を出して斉唱していた。日教組の国歌、国旗に背を向ける教育の中でもこうした国家観を持った青年が育つのかと思うと二重にうれしいメダルラッシュだった。