消えゆく「YS11]と「ジャンボ」の思い出

先週「YS11}と「ジャンボ」の最後のフライトを伝える記事が小さく報じられていた。とりたてて航空マニアというわけではないが個人的にも、この2機種には思い出深いものがある。
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戦後就航した唯一の国産旅客機「YS11」で、航空自衛隊美保基地(鳥取県)に所属する「152号機」の引退セレモニーが29日、愛知県小牧市の小牧基地で行われた。

 白地に青いラインと赤い日の丸が描かれた機体は美保基地を出発。午後3時すぎ、小牧基地上空に姿を現し、ゆっくりと低空で旋回しながら着陸すると、隊員らから拍手が湧いた。

昭和40年に空自に導入。総飛行時間が約2万4千時間に近づいたことなどから引退が決まった。52年間飛行したことになる。(産経)
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ニュースを見て、まだ飛んでいたいたのかと思った。「YS11」は戦後はじめて日本が製作・飛行させた民間機で名機の誉れが高い。ブログ子は10数回乗った。個人の搭乗数としては多いほうだと思う。選んで乗ったわけではなく、自分がいる新聞社が東亜国内航空の大株主で優待券たくさんあるので、できるだけ使え?と?命じられてためだ。戦後いちはやく航空機を購入したのは新聞社でその航空部が発展したのがこの会社だった。今では日本航空に吸収された。

おりから札幌五輪まじかでその担当記者だったから頻繁に乗った。航続距離が短い欠点があり、いったん三沢基地(軍民共用)に降りて給油する。ここは海面すれすれに下りていくので不時着するのではないかと思うほどだった。給油の間エンジンを切るので寒風がキャビンに入って来た。千歳でなく札幌市内の丘珠飛行場に降りるので便利な面もあったが、ここでもポプラ並木すれすれに下りるので慣れるまでヒヤッとしたものだ。

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 米航空大手のユナイテッド航空は6日、「ジャンボ機」の愛称を持つ米ボーイング747の日本と米国を結ぶ路線での運航を、今月14日に成田空港を出発する米西部サンフランシスコ行きの便で終えると明らかにした。ユナイテッド全体でも、ジャンボ機を年内に全て引退させる。米航空大手ではデルタ航空が日米路線で10月末ごろに運用を終える予定。(共同)

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これも名機の呼び声が高い。国内・国外ふくめ10回は乗った。御巣鷹山に520人の命が消えた「日本航空123便墜落事故」(昭和60年8月12日)では編集責任者だったのでJAL内外の知人・友人を総動員して取材にあたったので思い出が多いが、自分では「ジャンボを操縦した」ことで印象が深い。

といってもシミュレーターでのことだが、館山上空から羽田着陸までを入力してもらい実際とほぼ同じ景色を窓外に見ながら順調に羽田沖まで降下、滑走路に無事着陸、ドンというタイヤの接地音まで再現されていて、やった!と得意になりながらブレーキを踏んだ。とたん、機体は右に、滑走路外れて芝生に大破、炎上である。クルマと同じブレーキと思ったら、尾翼を左右に振る操舵装置だった。

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