教育勅語発言、メディアのハメ方が汚い

ブログ子、4カ月ぶりに下山、ブログ再開します。

記者会見する柴山昌彦文部科学相

24日から始まる予定の臨時国会で、野党各党はモリカケ問題と第4次安倍晋三改造内閣の閣僚の資質を追求する方針で、やり玉の一つに、柴山昌彦文部科学相の教育勅語発言を取り上げるという。野党は自分たちでは何一つ追及すべき材料を持たず、下種なメディアの尻馬に乗るか、重箱の隅をつつくようなことばかり取り上げる。いい加減にしろ!といいたい。

柴山氏は会見で、教育勅語について「アレンジした形で道徳などに使える分野もある」と発言した。これに対して各党から「認識違いも甚だしい」などと批判が巻き起こっているのだが、そもそも柴山氏の発言は一部の記者の質問によって引き出されたものなのに、メディアはそのことは伏せて唐突に大臣が言い出したかのように伝えている。

発端は、内閣改造直後の10月2日夜、文科省内で行われた柴山氏の就任会見で、NHKの記者が質問した「教育勅語について、過去の文科大臣は中身は至極真っ当なことが書かれていると発言されていますが、大臣も同様の考えか?」に答えたもの。

教育勅語をめぐっては、内容について現在に通じるものがある、とする肯定的評価と、軍国主義につながったとする否定的評価がある。教育行政のトップが何らかの見解を示せば、どちらにせよ批判を受けるのは必至だから、NHK記者の質問に対し、柴山氏は慎重に答えた。

「教育勅語については、それが現代風に解釈をされたり、あるいはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野が十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れるのではないかと思います」

記者「それはどの辺が、十分に使えると考えていますか」

柴山氏「同胞を大切にするとか、あるいは国際的な協調を重んじるとか、そういった基本的な記載内容について、現代的にアレンジをして教えていこうということも検討する動きがあるように聞いています。そういったことは検討に値するのかなというようにも考えています」

政府は昨年3月、教育勅語について「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」とする答弁書を閣議決定している。

柴山氏の発言は、教育勅語にはない「国際的な協調」について言及するなど一部に誤解もあるが、閣議決定からは逸脱していない。

だが、共同通信の記事では《柴山昌彦文部科学相は2日の就任記者会見で、教育勅語をめぐって同胞を大切にするといった基本的な記載内容を現代的にアレンジして教えていこうという動きがあるとして「検討に値する」と述べた。「アレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」とも語った》と伝えた。これでは、NHK記者の誘導質問のごときものに答えた部分がなく、大臣が率先して教育勅語論に及んだことになる。

普段でも左寄り記事を流している共同通信の原稿は全国の地方紙、ブロック紙にそのまま掲載される。案の定、野党は「認識違いも甚だしい」(立憲民主党の辻元清美国対委員長)、「教育をつかさどる大臣の発言として軽率だ」(国民民主党の玉木雄一郎代表)などと反発。全国紙も取り上げるようになり、社説で「柴山文科相の見識疑う」(5日付の朝日新聞)、「早くも時代錯誤の登場だ」(同日付の毎日新聞)と批判した。

あとは、屁でもないことを、ことさらにあげつらうリベラル連中の論法がまかり通るいつものパターンで、柴山文科相が 「(就任会見での発言は)私が教育勅語について何か説明しなければいけないということではなくて、あくまでも記者が質問したことに答えたということを、理解していただきたい」と述べたことなどどこも書かない。

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なんじ、臣民、父母に孝に、兄弟に友に夫婦相和し、朋友相信じ、恭儉(きょうけん)己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、以て知能の発達を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法にしたがい、一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし

どこが悪いというのか。至極当然の学習目標を並べただけではないか。最後の部分は当時としては当たり前で、いまどき皇室賛美、戦争賛美などと受け取る輩がいるはずもない。大臣が変わるたびに、同じ質問をぶつけ、あわよくば揚げ足をとろうとする文科省記者クラブの馬鹿さ加減には愛想が尽きる。

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