消失の首里城、再建ありきの先走りでいいのか

10月31日未明、那覇市の首里城から出火、正殿と北殿と南殿、奉神門など計7棟約4200平方メートルが焼失した。

それにしても再建への動きは早かった。まだくすぶっているようなときに「沖縄の心が失われた。一刻も早い再建を」という市民の声がテレビから流れ、沖縄県の玉城デニー知事は翌日には上京して沖縄担当相の両手を握って再建を訴え、菅義偉官房長官も者会見で「再建に向けて政府として全力で取り組んでいきたい」と表明した。

辺野古移設で反対運動の先頭に立ちアジってきた「琉球新報」と「沖縄タイムス」の地元2紙では「沖縄の本土復帰50年にあたる令和4年まで再建を」とか、ふるさと納税に3日間で1億円集まったとか、早期再建計画を”アジって”いる。

反対運動を意識した与党のリップサービスも盛り上がる一方で、公明党の斉藤鉄夫幹事長が2日に「沖縄予算に圧迫が加わらないような形でやるべきだ」と述べている。沖縄関係予算には毎年巨費が投じられていて政府は令和3年まで3千億円台を確保するとしているが、復元費用はそれとは別にひねり出せ、というのである。今回焼失した正殿など7棟は前回復元時に約73億円を投入している。今回は200億円くらいに跳ね上がりそうだが、たちまち達成できそうな、「めでたい」話しぶりである。

果たしてそれで良いのか。その前に沖縄には考えることがあるのではないか。自衛隊のヘリの出動を拒否し、県自前の防災ヘリの導入を検討中だった。知事、地元紙、過激派・・・反対運動の方は煽り立てておいて、いざ金の話になると政府頼りで「別口の財布から出せ」というのでは虫がよすぎるのではないか。

再建話は出火原因を特定してからだろう。焼け焦げた配電盤が回収されているが、タコ足回線による出火は世に‏溢れている。首里城祭りの作業が直前まで行われていたという。業者の責任問題になるかもしれない。それに義務はないとはいえ、スプリンクラーも設置されていなかった。全館「漆塗り」のような建築でそれが火の回りを早めたという。再建に当たった当時の人間の防火責任を問うてもおかしくない。県民の「心」を消失したのだから、県知事は「切腹」してもいい話だ。

琉球王国の中心地だった首里城は太平洋戦争で建物が全て焼失したが、1992年に主要施設が復元された。復元の建物自体は対象外だが、首里城跡を含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は2000年に世界遺産に登録された。

「観光にダメージが大きいからすぐ復興を」という。ブログの亭主は沖縄には復帰前後から10数回訪れているが、その9割は首里城再建前で、当時から観光の目玉などではなかった。沖縄にはほかにいくらでも観光資源はあるのだ。

さらに言うなら、沖縄県が掛けていた保険で最大70億円が支払われる。再建は保険金と「おきとく」(沖縄復興特別予算)内でやります、くらいの気概を見せたらどうだ。

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