性的少数者や同性婚をめぐる差別的な発言があったとして、岸田文雄首相は首相秘書官、荒井勝喜氏を更迭した。
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問題の発言は2月3日夜。報道各社の記者約10人が取り囲んでいた中だった。やりとりは、次のようものだった。
記者 岸田文雄首相は国会で同性婚制度導入に関し「社会が変わっていく」と答弁した。
荒井氏 社会の在り方が変わる。でも反対している人は結構いる。秘書官室は全員反対で、私の身の回りも反対だ。
記者 世論調査で若手の賛成が増えている。
荒井氏 何も影響が分かっていないからではないか。同性婚導入となると、社会のありようが変わってしまう。国を捨てる人、この国にはいたくないと言って反対する人は結構いる。
記者 悪影響は思いつかない。
荒井氏 隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。人権は尊重するが、選択的夫婦別姓よりは同性婚の方がインパクトが大きい。
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ブログ子など共感するや大である。そんな事言うと現在大手を振って跋扈している人権擁護派、LGBT擁護の左翼人種に糾弾されそうだ。だがこちらは公職にある荒井氏と違って、新聞社を辞めて10有余年、無為徒食。幸いにも追われるポジションもない。
「人権テロ」と言って良い風潮に逆らう一文を書きたいが、今回取り上げるのはそのことではない。以上の発言は記者団とのオフレコの席たったということだ。世に出たのは毎日新聞と共同通信のオフレコ破りからである。メディアにとってこちらのほうが命取りだと思う。
オフレコ破りを援護する意見はこうだ。 「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ、という発言は、明らかに性的少数カップルに対する差別であり、憎悪を放つヘイト発言とも言える。荒井氏は、首相の国会での演説や答弁などの作成に携わるスピーチライーターも務めている、とのことだ。そうした人が、これだけ人権意識に欠落した発言をした事実は、報じるに値する公共性・公益性があると言えよう」(江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授)
この人は神奈川新聞にいたオウム評論家だ。いつの間にか政治評論家に変身してしかも大学教授というのには驚いたが、父親は産経新聞整理部にいた共産党員だった。産経にも共産党はいるのである。
彼女は知らないかもしれないが、オフレコ破りは認められているのである。ただし後述のような一定の検討の後である。
その前にオフレコはなんで生まれたかということを書く。ブログ子も今回の舞台になった国会記者会館で内閣記者会にいたこともあるが、日常の取材で首相以下本音を吐くことなど期待できない。せいぜい役人が書いた模範解答文を読んでオシマイである。新聞記者はどうしても公表される部分の裏側を知らねばならない。そのため夜討ち朝駆けするのだが、向こうもこっちもたまったものではない。
政治家と記者クラブの間の溝を埋めるべく考え出されたのがオフレコである。オフレコ(英語: off the record、記録にとどめないこと)とは、談話などを公表しないこと、または非公式なものとすることを指す報道用語で、日本新聞協会編集委員会はオフレコについて「ニュースソース(取材源)側と取材記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど、一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない『取材源の秘匿』、取材上知り得た秘密を保持する『記者の証言拒絶権』と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある」と述べている
双方が事前に約束することなく発言者が発言し、発言後に「オフレコ」とマスコミ側へ依頼又は脅迫しても、オフレコの条件を満たさない、とも。
これに該当するものに、2011年7月、 松本治一郎の孫で部落解放同盟(中央本部)副委員長出身の民主党議員である松本龍復興相の発言がある。テレビカメラやメディア記者らの前で開催された村井嘉浩宮城県知事との対談において、暴言をした後、記者らに向かって「今の最後の言葉はオフレコです。絶対書いたらその社は終わりだからな」と脅迫した一件。東北放送が報道して、松本は世論の批判を受けて、復興担当大臣を辞任した。
こうした約束事でオフレコが成り立っているのである。一般にはわかりにくいだろうが、新聞記事に以下の表現があれば誰の発言かわかるのである。
政府首脳 (官房長官、首相の可能性もある)、政府高官 (官房副長官、官房長官の可能性もある)、首相周辺(首相秘書官など)、政府筋(官房副長官、首相秘書官)、党首脳(党首、党幹事長)、党幹部(党三役)、○○周辺 (○○の秘書)、○○省首脳 (次官級)、○○省幹部(局長級、審議官)
オフレコ発言は発言者の了解を得なければ、原則としてオフレコ解除をしてはならないものである。ではどういうときにオフレコを破って報道できるか。発言者と記者(記者クラブ)の約束事で成り立っているのだから信義がある。しかしあまりにも重大で報道しなければならないというケースもある。その時は記者が勝手に判断するのではなく、記者クラブ全体で合議に至れば、発言者に通告して記事にすることができる。
今回、毎日新聞はどうか。「オフレコの取材をした記者が非常に宜しくない発言だと受け止めて、上司に公開すべきではないか、と報告した。それを政治部長他の幹部が急遽議論、オフレコの場での発言であっても看過出来ない重大な問題である。決まりを破ることを辞さないと合議で決め、その旨を荒井氏に伝えるという手順を踏んで報道した」(毎日新聞・佐藤千矢子政治部長)。つまり記者クラブを通すことなく、毎日一社で決めた、と得意顔する。
この発言はTBSのワイドショーでのものだが、そばには時事通信出身のコメンテーター、田崎史郎がいた。彼は、小沢一郎がかつてオフレコの席で、「海部俊樹は馬鹿」「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」などといったのを『文藝春秋』(1994年10月号)で明かし、オフレコ発言の暴露を咎められて、時事通信から減俸と出勤停止の処分を下された、当の本人だ。この番組では「オフレコ破り」の二人がガン首揃えていたわけだ。
正義ヅラして、公共性、公益性にかなう、報じるに値するオフレコ破りと彼らが強弁しようと。これまでさんざ苦労してなんとかこれまで築いてきた情報源と報道側の「信頼関係」を壊したのは疑いない。今後は当局側の「木で鼻をくくったコメント」が続出する可能性が高く、今後の取材にも影響するのであろう。