「上げ馬神事」は馬の能力を無視した虐待である

約700年前から続く「上げ馬神事」のあり方が、議論を呼んでいる。三重県桑名市の多度大社で毎年5月に行われる「上げ馬神事」に関し、一見(いちみ)勝之知事は、最近十数年で計4頭がけがをして安楽死させられたと明らかにした。県によると、安楽死した馬は平成22年に1頭、26年に2頭。今年も1頭が安楽死させられた。骨折や脳挫傷が理由。「事故の頻度が多い。対策を講じるべきだと主催者側に伝える」と述べた。

「上げ馬神事」は南北朝時代に始まったとされる伝統行事で、毎年約10万人が見物に訪れる。地元の青年が馬に乗り50メートルほど疾走したのち、高さ2メートルほどの土壁を飛び越えられた回数で、稲作が豊作か凶作かを占う。

ブログ子は新人記者の時、三重県津支局に配属された。4年半ほどいたがそのうち2年ほど四日市通信部で、多度大社が近く、2回「上げ馬神事」を取材して送稿した。大学時代4年間馬術部にいて障碍飛越競技をしていたので馬のことがわかるのだが、当時から「この祭りは無茶だ」と思っていた。馬の能力を無視しているからである。

無茶だ、という理由は三つある。一つ目は「700年前と現在では馬の種類がまるで違っている」ことである。二つ目は「障害飛越競技としてみた場合、馬が踏み切るスペースがない」こと。三つ目は「騎手の未熟が馬の飛越を邪魔している」ことだ。

一つ目。「源義経」を一躍有名にした戦法に「鵯越の逆落とし」(ひよどりごえのさかおとし)という奇襲攻撃がある。一ノ谷の背後にある断崖絶壁から、騎乗したまま坂を駆け下りて平家の軍勢を壊滅させたものだが、この時の馬は現在とはまるで違う在来種と呼ばれる馬種である。保護活動のおかげで国内に少し残っている木曽駒がそれに該当する。馬体はポニーほどと小さいが、足腰が強く、武士を乗せて上述のような活躍を見せた。

その後、日本の馬は日清日露戦争で大改造される。旅順の203高地の戦いに見られるように、大砲を運び上げるのに馬が使われた。在来種は小さくて適さず、アラブ種と掛け合わされた馬が使われた。アラブ種というのは、映画、「アラビアのロレンス」に登場する馬で、馬格が大きく足腰が強い。ほかにもペルシュロン種などという1トン近くある馬種もある。靖国神社には彼らの慰霊碑があるが大東亜戦争まで軍馬90万頭が死んだ。

ブログ子の馬術部では10頭ほど繫養していたが、8割がアラブ種だった。足腰が強いので飛越能力が高い。しかし現在は9割がサラブレッドである。乗馬用など需要が少なく、生産者はみな競走馬のサラブレッドしか扱わないのだ。いまで仕方なくは乗馬用もサラブレッドを調教し直して使っている。多度神社も同じで周辺の乗馬クラブから借り上げたのだろうがサラブレッドしか調達できないのだ。

走り方も違う。在来種は「側対歩」(そくたいほ)という走法で反動が少なく狭いところも駆け上がり、走り抜ける。競馬中継で見るサラブレッドが一斉にゴールに飛び込むシーンで見られるのは「襲歩」(しゅうほ)という、2肢の蹄しか同時に地面にかない走法である。水平方向には早いが飛越能力の上からは劣る。「上げ馬神事」のコース設定は在来種向けに作られているのである。

左の急坂を駆け上がる

二つ目。馬は50メートルほど疾走すると斜度20度ほどの急坂に差し掛かる。そこを駆け上って高さ2メートルほどの土壁を飛び越える。五輪では2メートルほどの障碍物はある。高い飛越能力が必要だが不可能ではない。馬は土壁の前でいったん馬体を収縮させ、前肢2本を土壁の上に投げ出して、後肢2本で踏み切って乗り越える。しかし、多度大社ではそのとき馬が踏み切るスペースがないのである。

急坂を登ってさらにこの高さを飛び越えるというのは至難の業だ

ブログ子が見た時の経験では成功するのは5頭に1頭くらいの割合であった。本能がさせるのだろうが、どこで踏み切ったのかわからなかったが、馬の方が瞬時に判断して踏切点を見つけたのだろう。

三つ目。騎手は4月に選ばれた地元の青年が1か月ほど練習して挑戦する。だが本番にある2メートルの土壁の飛越練習はない。1か月間練習するのは振り落とされないよう鞍に座ることだけである。ブログ子が半世紀前に見たときには上り坂で早くも落馬する者がかなりいた。成功体験がないまま本番に臨んでいるのである。

馬は飛越の時大きく首を後ろにのけ反らすもので、この時騎手は前傾して自分の首を馬の首の横に付けるのだが、未熟な騎手だと落馬しかかっているから逆に馬の首にしがみつく。これでは飛越を邪魔するだけで、馬は土壁に激突するしかなくなる。最上部には振り落とされた騎手を受け止める役目の若い衆が左右に控えているので人間はケガしないが、馬は極端に狭いところに追い込まれて身動きが取れない。

上の写真など騎手はまだ鞍上にあるが、馬は土壁に激突している。横隔膜破裂で即死するか、よくて前肢骨折が免れないシーンである。骨折で安楽死させたのが4頭だという。一般の人は馬が骨折した場合は安楽死と思い込んでいるが間違いである。時折、中央競馬で骨折馬に獣医が現場で筋弛緩剤を打つ場面の遠景が写されるせいだろう。

馬は骨折ぐらいでは死なない。人間と同じでギプスと添え木で手当てすれば半年ほどの養生で回復する。あれは馬主がその後の経済性を考えて獣医に安楽死を依頼するからである。ブログ子のいた大学には獣医学部があったので、骨折した馬の手当てを獣医と相談することができた。温泉療法やプールで泳がすなど手間はかかったが普通の障碍飛越はこなせるほど回復したものである。

馬の歩法に4種ある。常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駈歩(かけあし)、襲歩(しゅうほ)である。馬術としてこの神事をみたとき、必要なのは「駈歩」だけである。ところが、ブログ子が見たとき、スタート直後から若い衆が篠竹で馬の尻を鞭打っていた。いきなり「襲歩」に追い込んでいた。ほとんど「狂奔」状態で高い土壁に激突する馬がかわいそうでならなかった。

「上げ馬神事」は続ければいい。ただ、日本の馬に対する知識や馬術に関する理解がないまま、700年の伝統だけを守って「神事」が行われていることが問題なのである。その結果、馬の運動能力に反するコース設定となり、ほぼ100%の動物虐待になっている。早急に専門家の意見をいれて改善をはかるときである。

これは珍しい「成功」例。ブログ子も昔、この角度からの写真を撮った

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