選挙モンスター「河村たかし」の影に「春日一幸」

今回の衆院選で各紙の情勢分析が出ているが、その中で初の議席獲得が有力視されている政治団体「日本保守党」の河村たかし(愛知一区)の選挙モンスターぶりが話題になっている。

 衆院選が差し迫った10月1日、河村氏は突然、名古屋市長を辞め、政治団体「日本保守党」公認候補として、かつて5回当選を果たした愛知1区から出馬すると、名乗りをあげた。

 この選挙区では、4期連続小選挙区で当選している自民党前職の熊田裕通氏と立憲民主党前職の吉田統彦氏、日本維新の会新顔の山本耕一氏が立候補を表明し、3氏の争いとみられていた。ところが、現在のメディア各社の情勢調査では、突然出てきた河村氏がトップで、残り3人が追う展開。「まさに選挙モンスターだ。出馬表明からたった2週間でトップに立ってしまった。すさまじい破壊力、河村台風だ」と驚愕の声が聞かれる。

ブログ子は、さもありなん、という思いで、さして驚かない。「河村たかし」は「春日一幸」の秘書だったということを知っているからだ。

昭和43年の暮れ、御用納めが近い頃だったが議員会館の民社党の春日一幸・書記長の部屋に呼ばれた。この後、民社党委員長として野党の顔になる人物だが、このときはまだ書記長。党の顔は西村栄一委員長なのに、すでに民社党を我が物顔に仕切っていて、番記者が張り付いていた。事務所にはもう一人、週刊誌、 「女性自身」の記者がいた。春日書記長はゲラを手に私に「明日発売で店頭に並ぶそうだ。あなたには包み隠さず 話してきたが、公になる以上職を辞することとした。このあと記者クラブで発表します」ということだった。この問題を知っている私に仁義を切っての呼び出しだった。

2、3週間前に「春日一幸は妾を持っている」とタレ込みがあった。公明党か共産党関係者からとは察しがついた。というのも2党にとって天敵みたいな存在だった。もともと共産党と公明党は仲が悪い。主義主張の対立などより票田が重なるためだが、その2党を束にして喧嘩を吹っかけるのだから、相当腹が据わってないとできない。

タレ込みは本当だった。取材は普通、周りから調べて固めていくが、早い段階でご本人があっさり「さようでござ る」と認めたうえ、現在七人であることも口にした。名古屋に二人、春日部に一人、東京にウン人・・・とスラスラ。数は言わなかったが、外に子どもがいることも隠さなかった。これ以上調べる必要もな いくらいだ。なにより、民社党の番記者が毎日、書記長宅で行っている会見だが、その家が妾宅ときている。民社党担当記者は そんなこととっくに承知の上なのだった。

こういうことが記事になるのだろうか、考え込んでしまった。東京からも地元の名古屋からも離れて、なんで「春日部」なのか。語呂合わせとしか思えない場所である。他の女性もみなそこそこのおトシであることから、戦争未亡人の面倒を見ているのではないかとも思えた。そうなるとなんだか美談のようでもある。迷っているうちに、議員会館に呼ばれたのである。

春日一幸の演説は「春日節」と呼ばれた。古今東西いろんなところからの引用に独特の抑揚を加え、演説に自己陶酔もはいる。例えば「わが民社党は、あの共産党の奴ばらをば千切っては捨て千切っては捨て・・・」といったぐあいだ。 名演説というと漢語をちりばめてというタイプが多いが、春日一幸にかかると一風変わったことになる。自民党と民社党の連立の可能性について聞かれたときだが、「それは極めて重要な質問ゆえに、ここは英語で答弁いたそう。即ち、イット、ディペンズ、 アポン、サーカマスタンセスじゃ(その時の状況次第だ)」。人を食った応答で相手を煙にまくなどお茶の子さいさいだ。

昭和24年(1949)7月1日。猛暑の名古屋で、流れ落ちる汗をぬぐいながら愛知県議会本会議場で春日一幸が大演説していた。 傍聴席は労働組合はじめ民主団体で超満員。県庁周辺にはなお3000人の大衆が群がっていた。午後2時壇上にあがりえんえんと演説は3時間を越えていた。

進駐軍から提案されたデモ規制の公安条例の反対討論だった。「言論・集会・結社の自由を抑圧するものである」として断固反 対。一日会期で招集された議会でなんとしても阻止しなければならない。73人中13人という弱小の党で勝つためには、と考えだ した奇策が、反対討論を会期の時間切れまで続けて審議未了廃案に追い込むことだった。

時間切れを確認して春日一幸が壇を降りると議場はどよめきの中、散会が叫ばれた。ほっとして廊下へ出た一幸めがけてGHQ(進駐軍)軍政部のアメリカ軍中尉が駆け寄ってきた。すわ報復かと思っ たら中尉は肩を抱き、「すばらしい。民主政治はかくあるべきだ。敬意を表したい」と絶賛したという。

春日一幸はその後、県議から国政を目指す。定数5人に約4倍の立候補者という全国屈指の激戦区、愛知県第一区で初当選をはたし、国会へと舞台を移す。愛知県議会では党派を越えて全員が春日一幸に資金カンパを寄せた。その後も名古屋が民社党の牙城となるのはこうした伏線があってのことだ。本人も「愛知には 民社民社の 風が吹く」と豪語していた。

そんな春日一幸の「遺産」を一手に引き継いでいるのが、「河村たかし」なのである。

 「日本保守党」は昨年10月に結党したばかりの政治団体。代表が作家の百田尚樹氏で、河村氏は共同代表を務める。国政選挙としては今年4月の東京15区の衆院補選がデビュー戦で、この衆院選が2度目の挑戦となる。

日本保守党は、河村氏の影響力が強い愛知県内で、1区のほかにも愛知3区、4区、5区に新人候補を擁立した。比例での出馬は全国で26人。愛知県を含む東海ブロックで5人のほか、近畿ブロックは6人で代表の百田氏が3位に登載されている。東京ブロックは4人で、党事務総長のジャーナリスト有本香氏が1位。各メディアの情勢調査では、日本保守党が愛知1区の河村氏に加えて、比例でも議席を獲得する勢いだ。

「はっきり言って、5議席以上の意気込みでやっとる。現職5人が揃えば国政政党になる。この先の展開も夢は大きく、政権交代、総理を狙う男として、いろいろと考えなければならない」(河村たかし氏)

その通り、5議席行くのではないか。

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