①愛知県大府市で2007年、徘徊中に列車にはねられ死亡した認知症の男性=当時(91)=の妻や長男らに、JR東海が運行遅れの損害約720万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が24日、名古屋高裁であった。長門栄吉裁判長は「監督義務の履行に努めていた」として、全額の支払いを命じた一審名古屋地裁判決を変更し、妻のみに約360万円の支払いを命じた。
半額になったとは言え家族にとって高額賠償であることには変わりなく心情としては何とかならないかと思うところだ。しかとした記憶ではないが、昭和40年ごろまで、社会部で見聞きしていた飛び込み自殺などに対する私鉄、国鉄(当時)の対応はもっと優しかった。
遺体の処理や列車の遅れ、警察捜査への協力など駅員は気の毒なくらい走り回っていたが、鉄道側が遺族に賠償請求することはなかった。悲しみにくれる遺族にさらに追い打ちをかけるのは忍びないという思いからだ。ところが一向に自殺がなくならない。そこで経済的負担という警鐘を鳴らすことで減らそうとした。だから形だけの請求で法廷に持ち込むことはまずなかった。
それがいつしか「遅れによる損失」まで計上して遺族に請求書を突きつけるようになった。欧米型の割りきった対応が幅をきかせ始めたのだ。安くはないが会社側にとっては「斟酌」できる額だと思う。ここは昔ながらの日本型の、相手を慮(おもんぱか)っての処置があってもいい。法廷闘争はなじまないケースだと思う。
②2年前に大阪市の路上で警察に保護された重い認知症の男性が、氏名や住所などが不明のまま仮の名前を付けられ介護施設で暮らしていた問題で、男性の身元が27日、兵庫県の74歳と分かった。家族と対面を果たしたが、家族により兵庫県警に行方不明者届が出されていたことも判明。見つかった氏名不明者との照合作業で何らかのミスがあり、長期間身元が判明しなかった可能性があるとして兵庫県警は調査を始めた。
男性は2012年3月11日朝、大阪市内の住宅街で保護され、認知症で氏名や住所を話せず、市は保護された場所にちなんだ名字に「太郎」という仮の名前を付け、年齢を70歳(当時)と推定して仮の生年月日も設けた。
兵庫県警によると、男性は12年3月8日午後7時25分ごろ、県内の路上で一緒にいた家族が目を離したすきに行方不明になった。家族は同8時15分ごろ、最寄りの警察署に届け出た。大阪府警が男性を保護したのは3日後。最初に行方不明になった場所から数キロしか離れていない場所だった。
警察の非を問うこともできようが、ここは一つもっと懐の深い対応ができないだろうか。認知症患者にはチップを埋め込めとかGPSで居場所がわかるケイタイを持たせろとかいう無味乾燥な議論に進むのを恐れる。
名前を出しても許されると思うが、キャリア官僚が独占した警視総監の椅子に叩き上げで座った秦野彰氏を公私にわたって知っている。先輩にくっついてポッポちゃんこと鳩山威一郎参議院議員と浅草の小料理店「太郎」でよく飲んだり麻雀をしたりしていた。あの鳩山由紀夫元首相の父親である。大蔵次官から国会に移って当時無役だったが影響力は大で取材を兼ねていたのだが、そこに同じ参議院議員の秦野がお忍びで来ていたのだ。
それから10年くらいあと、秦野章が重い認知症になった。世間には知らせていなかったが彼の秘書をよく知っていたので行動はよく聞いていた。はじめの頃は徘徊も横浜の自宅から都内くらいだった。警官をつかまえてはなにかと「訓示」をするらしいがトンチンカンである。まだ元警視総監の顔を知られていたので警官が気を利かして盛大に敬礼をすると、大いに気を良くして次の徘徊にでかけ夜には自宅に送り届けられてきた。
間もなく千葉県警で保護されるようになった。千葉ではそれほど顔を知る人もなく偉そうなおじさんとして交番に突出されるようになった。新聞では2002年腎不全で死去とあり認知症のことは全く触れられていない。本人も気分よく徘徊し、周りの人も気分よく扱った立派な認知症患者だった。