医療法人「徳洲会」グループの公職選挙法違反事件を受けて徳田毅前衆議院議員が辞職したことに伴い、27日、衆議院鹿児島2区の補欠選挙が行われた。ブログ子はいつの間に「2区」になったのか不覚にして気付かなかった。
ここは以前、徳之島を舞台にした奄美群島区という定員1人の異例の(全国でここだけ1人区)選挙区だった。この時代は中選挙区制度(現在は小選挙区比例代表並立制度)だった。自民党派閥から複数の立候補者が出るところでは共食い状態になり、「戦争」と呼ばれる選挙区が多かった。徳島の「阿波戦争」(三木武夫Vs後藤田正晴)、岡山2区の「六龍戦争」(加藤六月Vs橋本龍太郎)などだ。
なかでも奄美群島区は「ハブとマングースの戦い」「保徳戦争」といわれ、徳田虎雄Vs保岡興治の二人がほんとに血の雨が降る戦いを繰り広げるので有名だった。今回の徳洲会事件で一族が逮捕され議席を棒に振った徳田毅の父親と、同じく徳之島出身のエリート官僚の戦いでともに権勢を振るった。
すさまじい選挙戦だというので毎回東京から取材記者を派遣していた。私が居た新聞社で現在、論説委員をしているB記者がその役を務めた。よそ者は受け付けられない土地柄である。彼は奄美の出身で徳之島に親戚がいたので何かと便利だった人選だったが、そのレポートには毎回驚かされた。
住民一人一人どちらの陣営に付くか把握されていて、ほとんど狂わない。だから何票足らないかまでわかるので、深夜現金を持った「工作員」が軒先に忍んでくる。それを防ぐため片方は夜っぴて篝火を焚いて不審者を見張る。同じような光景は大阪・泉州の選挙で経験したことがあったが、この島では市長、市議、町内会長にいたるまで二派に分かれて殴り合いしながらの選挙だという。レポートには「島には他に娯楽がなく、唯一の楽しみという側面もある」とあった。
何でもありのこの選挙区はその後合区で鹿児島1区になりそこでもぶつかりあったが、さらに鹿児島2区に分区になって、両者棲み分けることでようやく「ハブとマングースの戦い」は終わりを告げた。
片方の主役、徳田虎雄氏は2002年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し政界から引退、息子を立てたが今回の不祥事である。もう一方の保岡興治氏は一時法相を務めたが、2009年の総選挙では比例復活も出来ずに落選、2012年やっと鹿児島1区から国政へ復帰したが政界ではやや埋没している。6人も出馬しているが勝敗ははじめからついている選挙だった。