渡辺淳一さんと赤い三輪車

連休中八ケ岳にいたとき作家の渡辺淳一さんが亡くなったことを知った。この歳になると昔取材したりインタビューしたりした人の訃報に接することが多いのは仕方がないが、ブログ子は赤い三輪車を鮮明に思い浮かべた。

記事には、「昭和43年、札幌医科大学で行われた和田寿郎教授による日本初の心臓移植手術、のちに教授が殺人罪で告発される事態になった、いわゆる和田心臓移植事件をテーマに小説を執筆、学内にありながら疑義を呈したため、大学を退職し、上京して文筆活動に専念」とあるから、会ったのはその3,4年後になる。

24G20140505D団地の狭いドアを開けたら赤い三輪車が積み上げられていて、夫人に案内されて雑然と本が積み上げられた書斎でインタビューした。札幌医科大学というのは北大医学部の学生を二つに割って開学したところで、氏はその一期生なので、当時のキャンパスの話や60年アンポの話題だった。

その数年後銀座のバーで見かけたが暗いのと向こうが女性に囲まれていたので声は掛けなかった。間もなく離婚して新しい夫人を迎えたと聞いた。さらに10年ほどのち日経新聞に連載した「失楽園」が大きな話題になった。不倫を主題とし、一般向け新聞連載、それも経済紙では例のない性描写が含まれていて、毎朝社長族が真っ先に秘書に持ってこさせてロマンポルノ代わりに読んでいるというものだった。本になり300万部のヒット作となり映画にもなった。

訃報にはさらに続けて「渡辺さんは前立腺がんを患い、東京都内の自宅で療養を続けていたが4月30日、亡くなった。葬儀は家族ですでにすませた」とあった。

弔いの席にいたのは、記憶では確か男の子と女の子だったと思うがあの赤い三輪車の主だったのだろうか。、

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