マスコミは60年安保の愚行をなぞるのか

「集団的自衛権」で一部のメディアは狂奔している。
朝日新聞は「近づく 戦争できる国」の見出しで「集団的自衛権の行使とは、米国と一緒に他国と戦争することだ」と断言し、毎日新聞は「集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更は、憲法の許容範囲を超えている」という。「『戦地に国民』へ道」(東京新聞)といった見出しは共同通信の配信を受けているブロック紙、地方紙にあふれている。国会周辺での女性のデモ隊では「命を産んだ母は二度と子供を戦場へは送らない」というスローガンが掲げられている。

反対派のスローガンは60年安保当時とそっくり

反対派のスローガンは60年安保当時とそっくり

ブログ子は60年安保闘争で見たスローガンとそっくりだと思った。年齢がわかるが、この時クラス委員をしていて教授に依頼して休講にしてもらい皆をデモ隊に参加させるのが仕事だった。大学から唐牛健太郎という全学連委員長を出している手前奮闘せざるを得なかった。クラスには社会党と共産党からオルグが来て上のようなスローガンを叫んでいったものだ。

札幌央警察署に検挙されたこともあるが、誰も日米安保条約の条文は読んでなどいなかった。国会での強行採決と、樺美智子が圧死したことに憤激してのことだった。ただそれだけである。

安保改定の際の社会党、共産党と朝日新聞の常套句は「他国の戦争に巻き込まれる」であった。あれだけ学生を煽りに煽った結果どうなったか。がむしゃらに反対の論陣を張っていた論説主幹の笠信太郎らが樺美智子の死と膨大な数のデモ隊に驚いて、みずから主導して「暴力を排し議会主義を守れ」という七社共同宣言を発するに至り安保運動は急速にしぼんだ。挙句、岸元首相の死にあたって元全学連リーダーが「あなたは正しかった」と弔文を書いたほどである。

惨敗に打ちひしがれた全学連の闘士たちは一般企業から閉めだされ、多くはマスコミ、郵政、教育、大学に流れ込んだ。その後70年安保世代が産んだ中核派・革マルなどの過激派も加わり、さらに沖縄返還闘争の連中も入って現在の左翼運動の中核であるマスコミと沖縄を形成していった。

あの時と同じパターンということは当然結果も見えてくる。当時は在京7紙全部が反対にまわったのだが、今回は朝日・毎日VS読売・産経と二分している。朝日新聞の世論調査を見るとなぜか購読者対象という姑息な方法だが反対は63%である。他の調査を見ても反対は50%以下で推移している、手元に当時の資料はないが、安保反対は80%以上はあったと思う。安全保障問題に世論調査などなじまないが、控えめに見ても世論は集団的自衛権に理解を示している。

与党で反対している公明党はとっくの昔に「下駄の雪」でそのうち自民党に擦り寄ってくる。与党から出て行く勇気などあるわけがない。それほど政権与党の蜜の味を享受するに慣れすぎた。山口那津男代表は16日前の党参院議員総会で「しっかり議論を尽くすことが重要だ」と訳の分からない言葉でお茶を濁しているのを見てもわかる。容認へのタイミングと口実をはかっているだけである。

野党8党も集団的自衛権では割れている上、全党「馬糞の川流れ」状態である。16日午前の幹事長・国対委員長では28日の開催で大筋合意している衆院予算委集中審議について、回数を増やすことを確認して終わった。「十分審議した」という口実のためなのはあきらかだ。つまり、どこから見ても勝負はすでに付いている。安倍首相の勝ちである。朝日・毎日の反対派はあのときのような「共同宣言」案を今の内に用意したほうがよいのではないか。まあ意地でも書きはすまいが。

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