南シナ海の西沙(英語名パラセル)諸島付近で中国とベトナムの艦船が衝突した映像を見ると、2010年9月7日、尖閣諸島付近で中国籍の不審船が日本の巡視艇にぶつかってきた時とそっくりである。時の菅直人民主党政権は船長と船をさっさと釈放したばかりか中国側と「衝突事件のビデオを公開しない」、「仲井真沖縄県知事の尖閣諸島視察を中止する」という密約を結んだ(毎日新聞)。ベトナム側は今回即座にビデオを公開して世界に中国の無法を訴えた。日本と大違いである。
日米などが中国側の行動に懸念を示すと、中国外務省のあの厚顔おばさん、華春瑩副報道局長が出てきて「いかなる国も妨害したり、あれこれ言ったりする権利はない」と反発したうえ「ベトナム側が、中国の公船に180回余り衝突した」「ベトナム側は中国の主権を尊重し、挑発的な行動をやめるべきだ」と要求。菅義偉官房長官が「中国の一方的活動」と憂慮を表明したことに対しても「困っているときにつけ込んで(中国に)危害を加えようとしている」といけしゃあしゃあと述べた。あきれた物言いである。
「四面楚歌」という言葉は三国時代にこの国で生まれたが、いま世界の中でその通りになっていることを認識できない。中国は「すべての問題は外国が仕掛けた」という論法を振りかざして反省することがない。こんな国に日本は2兆円とも3兆円とも言われるODAをつぎ込んだ。
胡錦涛自ら、「日本の経済援助なくして中国の現代化はあり得なかった」と語っている。だが、それによって経済力と軍事力を増強させた中国は、日本を含むベトナム、フィリピンなどの周辺国に脅威を与え、世界に牙をむき出しにしている。恩を仇で返す国に成り果てた。
国がそうならその国民も同じで世界の嫌われ者になった。最近の騒動では香港人を怒らせた立ちションベン事件にはあきれてものも言えない。行為そのものもとんでもないが、咎められて歯向かう中国人夫婦が13億人みなこれかと思ってしまう。
騒ぎの発端は、香港の繁華街、旺角で中国本土から来た夫婦が2歳の男児を抱えておしっこをさせていたところ、通りかかった香港市民の男女に注意されたうえ、その様子を撮影された。夫婦が激高し、父親はカメラとメモリーカードを奪いとった。通行人が助けようとしたら今度は母親が仲裁した男性の手をひっかき、注意した香港市民の足にベビーカーをぶつけるなど暴れだした。警察が駆けつけ、父親は釈放されたものの母親は暴行の容疑で一時拘束された。中国メディアの報道によると、4月21日、観光目的で香港を訪れた中国人夫婦が、市中心部の街頭で、2歳の男児を抱えておしっこをさせていた。通りかかった香港市民の男女に注意されたうえ、その様子を撮影された。その結果上記の乱暴狼藉である。警察が駆けつけ、父親は釈放されたものの母親は暴行の容疑で一時拘束された。
騒動の一部始終を撮影した映像がインターネットに出回ったことで、今度は中国と香港の間で物議を醸した。各ポータルサイトには十万件以上の書き込みが寄せられた。中国国内のネットユーザーには夫婦を支持する声が圧倒的に多く63%に達し、「香港にトイレが少ないことが原因だ」「香港人のわれわれに対する偏見が根底にある」「中国の観光客によって香港経済が潤い、私たちのおかげで香港人が良い生活を続けられている」とあきれた理屈を並べた上「香港市民が無断で子供がおしっこしている姿を撮影したことの方が悪い」といった開き直りとしか見えない中国人の屁理屈が並んでいる。
香港人が怒りあきれるのは、当事者の中国人夫婦も、中国の一般ユーザーも、子供に街頭でおしっこをさせたことを当たり前と思っていることだ。ブログ子は地下鉄の車内で子供に放尿させている中国人の母親の写真をみたことがある。ある香港人記者は「今回の事件は今の中国と香港の関係を象徴する出来事だ。1997年の香港返還以降、一国二制度が採用されたが、そもそも社会主義と資本主義制度のもとで育った人間の考え方はこのように根本的に違う」と話している。
中国文学史上、不朽の名作と言われる長編叙事詩「離騒」を著した屈原は楚の国の人だった。汚濁の世の中を憂いて汨羅(べきら)の淵に身を投げた。以後人々は悼んで毎年命日の5月5日には川に粽(ちまき)を投げて、魚が食べないようにした。日本にもその慣習は伝わり端午の節句となった。
これが清廉の人を生んだ同じ国の後裔なのだろうか。