シリアへの渡航を計画していた新潟市のフリーカメラマン、杉本祐一さん(58)に対し外務省が旅券の返納命令を出しパスポートを没収した。邦人の生命保護を理由にした返納命令は初めて。何事も前例主義の外務省にしては踏み込んだ措置で、官邸の主導があったのかもしれない。
「イスラム国」に殺害されたフリージャーナリストの後藤健二さんがシリアに渡航する前、外務省は9、10両月、電話と面談で計3回にわたり渡航中止を要請したが、受け入れられなかった経緯がある。自民党の高村正彦副総裁は、後藤健二さんについて「日本政府の3度の警告にも関わらず支配地域に入った。どんなに優しくて使命感が高かったとしても、真の勇気でなく『蛮勇』というべきものだった」と述べ、二階俊博総務会長も、「今後も自由にどこでも渡航できるようにしていいのか」と述べ、危険地域への邦人渡航に何らかの規制が必要との認識を示していたおりだけに全く妥当な返納命令だ。
しかるに、当の本人は毎日のようにテレビに出てきては「現地での取材を自粛するのは、それ自体がテロに屈するということ。憲法が保障する渡航の自由や言論、報道・取材の自由が奪われている」と憤ってみせ「最前線に行かねば住民の苦しみや実情はわからない」とも言っていた。
確かに新聞記者(ジャーナリスト)やカメラマンは本能的に最前線に向かう。ブログ子も新人記者の時、洪水でまさに決壊する堤防に立ち間一髪、消防団員に助けられたり、山火事の取材で山に入り、目の前で「火の塊が尾根を超えて飛ぶ」のを目撃、髪の毛がチリチリになったこともあるが、いずれも決定的な写真は撮れなかった。こういう時は一歩引いて回りの状況がわかるようなアングルを求めるものだということを知ったのは後日である。やみくもに前に出るのは素人とも教えられた。
この人、「北海道の小樽生まれでその後、母親の実家がある新潟県に転居、高校卒業後、職に就いたが馴染めず。職場を転々とした。1994年考えるところがあってフリーカメラマンに転身、内戦中のクロアチアに入り、難民キャンプを取材したのをきっかけに以後紛争地域、飢餓地帯を積極的に写真取材」と自身のブログにある。そこの写真を拝見したが、どうにも迫って来るものがない。観光客のスナップのような皮相的なものが並んでいた。
ブログ子は自分の体験から「人間を撮るのはその目を撮れ。現地の様子は一歩引いて撮れ」とご教授したくなった。前回も書いたが大手メディアは自社から犠牲者を出すのを嫌って、こうしたフリージャーナリストに頼る。NHKにも「後藤さんと親交があった」と語るキャスターや解説委員がいるところを見ると右に同じである。
こうしたメディアにとって危険地域に身の危険を顧みず、取材し映像を撮ってくれるフリージャーナリストは貴重な存在である。映像は、最近の価格で5分10分で300 万から500万でテレビ局が買ってくれる。だから飛び込み行為は跡を絶たない。まず在京のテレビキー局が「一切買わない」と決めればたちまちのうちに、こうしたフリージャーナリストはいなくなるはずだ。
ご本人は「足を踏み入れなければ、そこで暮らす人々の気持ちを理解できない。我々はみんな宇宙船地球号の一員。無知ではいけないはずだ」と危険地帯で取材を続ける意義を訴える。また、「旅券がなければ失業同然」と、命令を不服として、行政不服審査法に基づく異議申し立てや、国に対して処分取り消しを求める訴訟を起こすことを検討しているようである。
その旅券(パスポート)にはこう書いてある。
「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させかつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう関係の諸官に要請する」
「必要な保護扶助を与えられない」ところに「飛んで火に入る」輩を阻止するのは、国の親心である。