カメラマンと北海道に取材に出かけた夜、ススキノの居酒屋でカメラマンが真っ先にホッケの開きを注文するので「お前なあ、ホッケというのは下司な魚だ。鮭のルイベとかニシンを食べてからまだ口寂しいときにしょうがない、と食べるものだ」と”説教”して、自分が札幌で4年間学生生活を送った時の武勇伝を披露した。下宿は賄い付きだったが毎日ホッケが出る。予備校生もいて「またホッケか」というので、下宿屋のおかみさん相手に「ホッケ拒否闘争」を展開した。勝ったもののあなただけは出て行って欲しいと下宿を変わる羽目に陥った。
食糧難の戦後すぐ配給時代の放送では「◯◯町ホッケ、△△区ホッケ」と明けても暮れてもホッケで「今日もコロッケ、明日もコロッケ」の歌をホッケに変えて揶揄したものだそうだ。件のカメラマンは「そうかねえ、うまいんだがなあ」と言いつつ、シャケに変えていたのだが、この記事のとおりならブログ子は彼に謝らなければならない。
最近小樽周辺ではニシンが戻ってきたという話をテレビでみた。鰊御殿が建った時代には及ばぬまでも、かなりの漁獲量になり高値で取引されているとあった。昭和30年台に「絶滅」したが、漁師一丸となって稚魚の放流や海に流れ入る森林の手入れに精を出した成果だという。ニシンは積丹半島から稚内の沿岸部で生まれ育ち繁殖する。小樽沖ではニシンが産卵のため浅瀬に押し寄せるときに見られる群来(くき)という、海水が白濁する現象が見られると漁師が涙を流していたが感動的だった。
母のj実家の米沢で疎開生活を送ったが祖父は庭に埋めた壺にニシンを放り込んで腐敗した液を肥料として盆栽にくれてやっていたし、縁側には身欠きにしんが冬の保存食としてたくさんぶら下がっていて、その一つを飼っていたシェパードに見せびらかしたうえ持って逃げたら尻を噛まれた。
ホッケの高値は、主漁場である北海道沖での若い魚の取りすぎや海水温の変化で水揚げが激減した上、米国からの輸入物も漁獲規制で流通量が減ったことが背景にある。水産庁によると、マホッケの漁獲量は、1998年の約24万1千トンから2013年には約5万3千トンと15年で78%減り、過去最低水準だ。国産では干物にできる大きさのものが減り、代わりに輸入物のシマホッケが干物の主力となっている。上述の干物居酒屋店では、輸入物のシマホッケと、国産のほぼ全てを占めるマホッケの2種類があるが、シマホッケの仕入れ値は3年前と比べ、1・5倍。大型が手に入らず、小ぶりのマホッケでさえ990円で、アジやサンマの590円より高い。北海道の釧路市動物園では、アザラシやアシカの餌にホッケを使っていたが、14年10月から入手が難しくなり、アジに切り替えた。1キロあたりの価格がホッケの2倍近いが、なしで済まされないとあって、市は高値対策に約300万円の補正予算を組んだ。
ニシンがたどった道とまったく同じである。馬鹿にしていたホッケがなにやら愛しくなってきた。