裁判官は「常識」の基本に還れ

法には自然法と実定法があって、実定法には成分法と不文法があり、不文法には慣習法と判例法がある・・・と法学教室の講義だが、門外漢のブログ子の理解は少し違っていて、自然法は「常識」で成り立ち、法律をいじくりまわして判例第一に作り上げられたのが「実定法」と思っている。何でもかんでも行政の責任にしたり親や会社の管理・監督責任にする近頃の裁判所に一石を投じた最高裁判決だったと思う。

事故の概要図(朝日新聞から)

事故の概要図(朝日新聞から)

元になった事故は、愛媛県今治市で2004年2月に発生。当時11歳の小学6年男児が放課後の校庭で蹴ったサッカーボールがゴールを外れ、高さ1.3メートルの門扉も越えて道路に転がった。バイクで走行中の80代男性がボールをよけようとして転び、足を骨折。約1年4カ月後に入院先で肺炎で死亡し、遺族が約5000万円の賠償を求めた。

民法は、責任能力のない児童らが違法行為で他人に損害を与えた場合は親などの監督者が責任を負うとしている。1、2審は両親の監督責任を認め、2審・大阪高裁は「ボールが道路に飛び出す危険がある場所ではボールを蹴らないよう指導する監督義務があった」と約1100万円の支払いを命じた。

これに対し最高裁小法廷は「男児の行為は校庭の日常的な使用方法として通常」とした上で、門扉はゴールから約10メートル離れ、校庭と道路との間には幅1・8メートルの側溝もあり、「ボールが道路に出ることが常態だったとはみられない」と述べた。

さらに「親の日ごろの指導はある程度一般的なものとならざるを得ない」と指摘し、「両親は男児に、危険な行為に及ばないよう日ごろから通常のしつけをしていた。両親が事故を具体的に予見できる特別な事情もうかがわれない」と結論づけた。

責任能力がない子供や精神障害者らの行為を巡る訴訟で、監督者が責任を免れた例は過去にほとんどない。そうした中で、最高裁は「通常は危険が及ばないとみられる行為で偶然に事故を起こした場合は、具体的に事故が予見できるなど特段の事情がない限り、責任は負わない」との初判断を示した。その上で親を敗訴とした2審判決を破棄して原告の請求を棄却。親の逆転勝訴が確定した。

新聞各紙ともこの判決を歓迎していて今後大きな影響が出ると見られている。例えば愛知県で07年、認知症の男性(当時91)が徘徊中、JR東海道線の駅の構内で列車にはねられ死亡した。JR東海は男性の家族に、列車の遅れに伴う振り替え輸送費などの損害賠償を求めて提訴。二審・名古屋高裁は、同居の妻の監督責任を認めて約359万円の賠償を命じたケース。

今回の最高裁判決を当てはめると「監督義務者の責任について、徘徊をすれば何らかの危険があるという抽象的な危険の予測ではなく、具体的に線路に入り込む危険性を予想できたかが問われることになる」(この裁判の弁護士)とみる。

     ◇

◯2002年4月 宮城県大河原町で小学生2人が公園でキャッチボールをしていた際、ボールが別の小学生の胸に当たり死亡。裁判の結果、一審は2人の両親に計約6千万円の賠償命令。二審で計約3千万円の支払いで和解

◯2008年9月 神戸市北区でマウンテンバイクに乗った小学生が坂道を下っていて、衝突された女性が寝たきりの状態になった。裁判での一審では母親に9500万円の賠償命令。二審で確定

こうした判決は今後見直されることが必至だろう。一方何でもかんでも行政の責任にし、行政も税金という市民の金なのに自分の腹が傷まないせいか、唯々諾々と支払う風潮も改めるべきだ。例えば「大津いじめ訴訟」である。

いじめを受けて2011年に自殺した大津市立中学校2年の男子生徒(当時13)の両親が起こした損害賠償請求訴訟をめぐり、両親と被告側の同市との和解が3月17日、大津地裁で成立した。地裁がいじめに対する学校側の不適切な対応や市の賠償責任を認定したうえで和解勧告を行い、両親と市側の双方が受け入れを決めた。

 和解条項は、教職員が自殺を予見できたのに防げなかったことや、自殺後も学校と教育委員会が調査に消極的だったことなどに対して市が両親に謝罪する▽市は再発防止の取り組みを継続する――などの内容。賠償金は4100万円相当で、すでに支払われた災害共済給付金2800万円を除く1300万円を市が和解金として支払うとされた。

越直美市長は「他の都市も見習ってほしい」というが、加害者の親の責任をもっと追及すべきではないか。事件後隣の京都市にさっさと転校させたり、メディア批判を続けるなど親の監督責任などどこ吹く風である。こういう輩にはどしどし請求すべきなのだ。

ブログ子は関西の私鉄沿線の駅そばに住んでいた。時々だが人身事故が発生した。鉄道法では電車の遅延や損傷など損害賠償請求できることになっているが、残された遺族の悲しみの上に更に金を請求するのは忍びないいと、裁判など起こさなかったものだ。それに引き換え線路に立ちった認知症患者の妻に何千万円も損害賠償請求(判決では減額)したJR東海などブログ子に言わせれば「人非人」である。

裁判官は向後「常識」と「人情」にしたがって判決を下してもらいたい。

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