日米で20万人超の犠牲者を出した沖縄戦終結から70年を迎えた23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で営まれた沖縄全戦没者追悼式に出席した安倍晋三首相は「先の大戦でここ沖縄の地は国内最大の地上戦の場となりました。平穏な暮らしは修羅の巷と変じ、豊かな海と緑は破壊され、20万人もの尊い命が失われました。全国民とともに、この地に倒れた人々の流した血や涙に思いを致し、胸に迫り来る悲痛の念とともに静かに頭を垂れたい」と哀悼の意から述べ始めたが、時折、「さっさと帰れ」「嘘を言うな」と罵声が飛んだ。この声高に叫ぶ連中は沖縄のほんの一部であろう。それが証拠に首相があいさつを終えると大きな拍手がわいた。
沖縄サヨクを育ててきた琉球新報、沖縄タイムスなど地元紙によると、彼らがこの日叫んだシュプレヒコールは「安倍首相来沖反対」「オスプレイ撤去」「不戦誓うこの地を再び軍靴で汚すな!」 「安倍は帰れ。慰霊祭に参加するな!」 「辺野古の新基地建設許さないぞ!」 「戦争法案やめろ!」。交通整理の警官がこの連中の移動を促すと「沖縄の表現の自由を守れ!」「慰霊の日に暴力ふるってよいのか?」と大声をあげた。地元紙だけ読んでいると沖縄は反政府運動が渦巻いているかのような錯覚に陥る。
式典会場まで約8・3キロを歩き、犠牲者を追悼する「平和祈願慰霊大行進」(県遺族連合会など主催)に参加した男性(76)は、「毎年参加する度に涙が出る思いになる。今日はそういう日なんです。『安倍は来るな』などと叫んで慰霊を邪魔しないでほしい」と嘆いた(産経)。
シュプレヒコールをあげた東京から来た支援団体らしい男が「県民の心を踏みにじる安倍政権は許せない」と語ったとき。地元の若者は「あんたらウチナンチュ(沖縄人)じゃないだろ? 政治的なものを持ち込むな」と食ってかかった。
何度も書いたことだが、ブログ子は昭和20年6月6日夜、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将が海軍次官にあてた電文を涙なくしては読めない。「(県民の奮闘ぶりを書いた後)本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
沖縄には復帰前の「アメリカ」のときから10回は通ったが、丘の道の砂利がみな遺骨のように思えて歩けなかった。その度に「沖縄県民斯ク戦ヘリ」を思い出し、度重なる「おきしん](沖縄振興特別措置法)で3000億単位の金額が国庫から支出されるのも当然だと思ってきた。ところが沖縄タイムスによるとこれも「他県などに支出している国庫支出金と国の直轄事業費のための資金がほとんど。沖縄だけが『別枠』でもらっていると誤解している人も多い」となる。まったくよく言うよ、である。
その沖縄振興予算は仲井真前知事時代の昨年9月に示された概算要求額は約3800億円だったが辺野古反対の翁長雄志知事になってから5年ぶりに減らされ3340億円になったというので、知事が上京して首相に面会を求め元に戻せと強談判である。地元紙は「大幅に削られた。沖縄いじめのなにものでもない」と騒ぎ立てる。
沖縄全戦没者追悼式で登壇した沖縄県知事の式辞を聞いてあきれた。興味ある方はまだ新聞のデジタルサイトにあるので「平和宣言」(http://www.sankei.com/politics/news/150623/plt1506230018-n1.html)というものを一読されたい
慰霊の言葉はほんの4,5行。全体の9割は「そもそも普天間飛行場の固定化は許されず『嫌なら代替案を出しなさい』との考えは到底県民に許容できるものではありません。普天間移設の中止を決断し、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます」と政府批判の政治演説である。
一地方の首長が各界のVIPが集まった席で政治的メッセージを発するケースはだんだんひどくなってきた。広島、長崎でも毎年見られるが、今回は特に偏ったもので、指弾されてしかるべきだろう。本来は原爆や戦火に倒れた人たちへの静謐な祈りの場である。その「祈りの場」を盾にとって一首長が外交官気取りで世界に発信してどうなるのか。かつて舞い上がったとしか思えない広島市長は政府に根回しもせず世界の平和の中心地であるからとオリンピックに名乗りでたことがある。世界からは歯牙にも掛けられず惨敗した。
ブログ子は60年安保ではちょっとした闘士気取りであったが、安保条約の中身など見たこともなかった。ただただ強行採決に怒ったのだが、今となって歴史の公正な目にあててみると時代から浮いていたと認めざるを得ない。沖縄サヨクの愚行を見るにつけ、あの時の阿呆どもと同じ轍を歩いているとしか見えないのである。