中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統は7日、シンガポールで1949年の中台分断後、初の首脳会談を行った。ビッグニュースだと大騒ぎだが、台湾については李登輝元総統の言しか信用しないことにしている。その李氏が「馬英九は何をやらかすかわからない」と言っているのだから、ブログ子はあがきのパフォーマンスとみている。
来年1月に迫った総統選では野党の民進党の蔡英文主席の勝利が確実視され、国民党は敗退する。あせった馬英九が中台接近を演出したい思惑と、台湾の若い世代が人権と民主主義を踏みにじる習近平政権に反感を募らせていることへの融和策という両者の打算から生み出されたものだ。
案の定、馬総統の要求に習主席はほとんどの課題で具体的な回答を避け、一致したのは中台双方で「一つの中国」の原則を確認したとされる「92年コンセンサス」を「堅持」することと、中台のホットラインくらい。馬総統は中国が台湾向けに配備している弾道ミサイルを後退させるよう求めたが、習主席は「台湾に向けたものではない」とはぐらかし、アジアインフラ投資銀行(AIIB)加入問題でも「適当な方法」での加入に言及するにとどめた。大して中身のないセレモニーに終わった。
ブログ子は反対派が座り込んで馬英九総統と習近平国家主席の写真を焼いているのをみて別な感慨を持った。プラカードを見ると「売国奴・馬英九というところが「賣國」という旧字で、「反対」も「反對」と書かれている。新聞の見出しを見ても国名は「臺灣」であり、声援するは「聲援」で決して簡体字を使っていない。
香港では民主派寄りのテレビ局HKTVでこんなシーンが放送されたという。
「このメニュー、どうしてサラダのこと『色拉』と書いているの?」。香港のコーヒーショップで客の女性はさらに続けて、店員に「ここは大陸(中国本土)じゃないわ。香港なのよ。香港なら『沙律』でしょ。香港人なら繁体字で書きなさいよ!」と食ってかかった。(産経新聞)
「簡体字」は中国で1950年代に制定された簡略漢字、これに対し伝統的な漢字は繁体字(正体字)という。49年の新中国成立後、共産党政権は識字率の向上を目指して難解な漢字を庶民にも使いやすくし、教育程度を高めるため簡体字の普及を進めた。日本でも戦後、当用漢字の一部が簡略化され、「廣」が「広」となったが、中国ではさらに簡略に「广」という具合である。
これに対し香港や台湾では、学校教育から社会生活、公文書に至るまで繁体字が使われているが、観光客急増など中国本土からの影響拡大で中国本土風の表現や、簡体字がじわじわと浸食し始めている。そうしたことから「簡体字は見ていてキモい」などと若い世代中心に反感が広がっている。香港も台湾も繁体字を守り続けることで、中華文化の正統な伝承者であるとの強い意識がある。
確かに行き過ぎの面がある。例えば幹、乾、干の3つの漢字では、発音が近いという理由で「干」の字に“統合”された。しかし、「干部(幹部)」「干燥(乾燥)」では見ても意味不明である。本来の漢字の魅力まで失うことになったこれが「きもい」とされる所以だ。
別表は「きもい」理由である。中国の簡体字に対しそれぞれ馬鹿にしたコメントが右側に並んでいるが、要するに元の漢字が分からなくなってしまい、表意文字としての漢字の成り立ちがまるで無視されていることへの反感である。
韓国も漢字文化圏の一角だったが国策としてハングルという表音文字を選んで漢字を捨てた。今では同音異義語が20も30もあって、もとの漢字を知らないばかりか研究者でも古文書が読めない世代が増えつつある。
こうしたことに香港や台湾では「漢字を廃止することは単に文字を廃止することとは違う。漢字によって受け継がれてきた文化を捨てることになる。漢字は中国文化の宝であり、韓国人は今頃後悔しているだろうが、すでに手遅れだ。この点において日本人は韓国人より賢い選択をした」などという声がネットに多く見られる。
日本留学などで少し日本を知ると、漢字ばかりでなくひらがながあり、カタカナがあり、それらを使いこなす小中学生をみて驚嘆するという。
香港や台湾の字画の多い旧字を見ていると書くのが大変だなあと思い、あちらのパソコンはどうなっているのだろうか一度見てみたい気がする。