鉄道会社は「泣き寝入り」の美徳に戻れ

認知症男性が徘徊中に電車にはねられ死亡した。この男性の家族にJR東海は賠償金を求め、一審も二審も「払え」と命じたが、男性の妻と長男が「認知症患者の家族に一層の過酷を強いるものだ」と最高裁に上告した裁判で弁論が終結、3月1日に判決が下される。

===========================

 責任能力がない家族が鉄道会社への賠償責任を負うかが争われた訴訟の上告審弁論が2日、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)で開かれた。男性の妻と長男側は「認知症介護は家族の犠牲と負担で成り立っている。その中で家族に必ず監督責任を負わせれば、負担は一層過酷になる」として請求棄却を求めた。訴えたJR東海側は「2人には監督者として責任がある」として結審した。判決は3月1日。

 認知症患者を抱える家族がどこまで監督義務を果たすべきか最高裁として初判断を示す見込みで、判決は介護のあり方に影響を与えそうだ。

 男性の妻と長男が、民法714条の「監督義務者」として賠償責任を負うのかが争点。2人の代理人は弁論で「行為者に故意や過失がなければ、誰も責任を負わない事態は法が予定している。認知症患者の家族に監督者として厳格な責任を負わせるとすれば、家族は認知症患者と関わりを絶つしかなくなる」と1、2審判決を批判した。

1審名古屋地裁は、「目を離さず見守ることを怠った」と男性の妻の責任を認定。長男も「事実上の監督者で適切な措置を取らなかった」として2人に請求通りの720万円の賠償を命じた。2審名古屋高裁は「20年以上男性と別居しており、監督者に該当しない」として長男への請求を棄却。妻の責任は1審に続き認定し、359万円の賠償を命じた。

===========================

ブログ子は小学校から高校まで大阪の南郊、南海高野線の「狭山」駅前に住んでいた。母が世話焼きで駅員に学資を出してやって大学に進むように勧めて何人かの面倒を見ていた。その一人Nさんが電鉄会社の幹部になり南海電鉄の補償担当の責任者になった。

Nさんがお茶を呑みに立ち寄っていうことには「鉄道自殺者や電車と交通事故を起こした人の家族には、泣き寝入りがほとんどですわ」といった。鉄道法では遺族なり保護責任者なりに補償を求めることができるが、身内が亡くなって悲しみにくれているお宅に行って賠償を言い出すことなどとてもできない。このころ子供の世界では線路に釘を置いてペチャンコにしてドライバーのようにするのが流行っていて補導されるのや、電車に石を投げて捕まるのがいて、こうした悪質な行為に対しては親に見せしめの賠償請求するが、ほとんどは取り立てることなくうやむやにすませたという。

みんな貧乏人ですからね、法律通りやったらその家庭はつぶれてしまう。鉄道会社は金持ちとは言わないまでも、それでつぶれることはない。泣き寝入りが一番丸く納まる方法だというのだ。関西は私鉄が多いが、他でもこのような対応だった。

◇ ◇ ◇

これが人間の知恵というものだ。法律を前面に押し立ててやれば上述の3審までいくケースのように六法全書片手にしゃっちょこばったものになる。認知症の人を身内に抱える家庭は今後ますます増える。明日は我が身、である。一昔前、といってもそれほど昔でもないが、地方の一私鉄でもこれほどの人情を持ち合わせていた。国鉄の時代は動労が権利を前面にろくでもない闘争をして国鉄が立ち行かなくなってJRに民営化された。己が職場の電車にペンキで落書きしまくったが、この修理費を動労に請求したという話は聞かない。泣き寝入りしていたわけだ。JR東海は権利を押し立てるのでなく、人情で対応したらどうだ。

コメントは受け付けていません。