国会中継がつまらなくなった

仕事がらブログ子は国会中継を「よく見る」方だった。だが昨今はあまりのバカらしさに、ほとんどテレビのスイッチを入れることはなくなった。

安倍首相は歴代の首相の中で丁寧に質問に応じている方だと思うが、ときどき野党議員をたしなめたり、訂正を求めたりしている。

朝日と並んでとみにアンチ安倍色を強めている毎日新聞が8日の紙面で特集ワイド「安倍首相、すぐキレるワケ」と題して、首相の「そんな議論は枝葉末節な議論であって……こうしたことばかりやっているようでは、民主党も支持率は上がらないのではないかと心配になってくるわけであります 」などという発言を取り上げて、「ため息が出てしまう。ヒートアップというか、かなりキレ気味なのだ。一国のリーダーが、あまりに攻撃的な態度を取るのはいかがなものか」と江畑佳明という政治部記者らしい人物の署名記事を載せている。的外れもいいところだ。

テレビのこちら側にいる我々の方だって安倍首相と同じようにろくでもない野党議員にキレているのだ。昔はよかった、というつもりもないが、民社党の春日一幸委員長など春日節といわれた舌鋒鋭く迫る様が面白く、かつなるほどと思わせるものがあった。

政治家の質の低下についてはいろいろ原因はあろう。衆院選での比例復活制度選挙制度の弊害、派閥の功罪はあるがおかげで政党の議員育成能力が低下していることもある。候補者公募制で「出したい人」でなく「出たい人」ばかりが跋扈していることも原因だ。

その結果国会がパフォーマンスの場と化していることにあると思う。だいぶ前だが民主党の男女議員が「ガソリン値下げ隊」という、事務局が印刷したプラカードを掲げて並んでみたり、最近では「戦争法案反対」など愚にもつかないスローガンの紙切れを掲げたり、「どこに議員としての”己”があるのか」と軽蔑の極みの思いをすることが多い。

本題の国会中継を見ていて腹が立つのは、ほとんどの議員が、質問するにあたり、パネルを用意して、それを首相など閣僚にではなくテレビカメラに向けて持っていることだ。どちらを向いてしゃべっているのか下司の極みの心情が垣間見えるのである。

テレビカメラに向けてパネルを出す質問者

テレビカメラに向けてパネルを出す質問者


政策の問題点を図表化したり、各種経済統計のグラフを拡大してみせたりして問題点を目に訴える。それ自体はいいのだが、テレビカメラに向いた目線は己の質問姿を見せるためだけに熱中している。後日彼らのホームページを見ると、取り寄せた速記録の再録と己の写真で埋まっているのがほとんである。

予算委員長に提言する。パネルは閣僚席に向けさせ、カメラは俯瞰の位置にして、音声だけ的確に放送するように改めさせよ。

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