朝日新聞の皇室敬語はなってない

「朝日の皇室敬語用法にもの申す」と佐瀬昌盛・防衛大学校名誉教授が7日の産経紙上で噛みついていた。その通り朝日新聞と毎日新聞の皇室関係の記事は昔から「不敬」を旨としているのである。

氏は試しに在京主要5紙が昨年12月23日、つまり天皇誕生日にどのような言葉遣いをしたか検証している。
「朝日」は「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎え、これに先立ち記者会見した」。「産経」は「天皇陛下は23日、82歳のお誕生日を迎えられた」。「日経」は「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた」。「お誕生日」か「誕生日」か、「お」の有無はあるが基本的に「産経」と同じである。「読売」は「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた」とある。

毎日は「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた」。ここまでは「朝日」とは違うが、次の一文では、陛下はパラオの「『島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならない』と話した」とある。つまりは「朝日」と同じ語調だ。

結局、5紙は皇室報道で「朝日・毎日」グループと「産経・日経・読売」グループに二群化できる。ついでに言うと、NHKは後者に入る。活字とは違い音声は残らないからその実例を挙げるのは困難だが、今年3月17日のNHK番組「ラジオ深夜便」は、敬語的表現で結ばれていた。

以上は天皇報道だけでなく皇族全体についても言える。なかで「朝日・毎日」組が敬語的表現を捨てたのはさほど古いことではない。先んじたのは「朝日」で、1993年4月6日開始の連載「皇室報道」がその契機となった。計51回。3カ月半に及ぶ連載の第46回が方針転換の始まりである。

「『言葉の民主化』で敬語も変わる」と題したこの記事は、1952年に国語審議会がまとめた報告を紹介、それを「言葉の民主化」方針だと捉えている。その上で皇室関係では敬語的表現の多用化傾向があるのを問題視し、「敬語の民主化」の必要を提唱した。

私見では「言葉の民主化」とか「敬語の民主化」は不可能だ。民主化とは制度に関わる概念であり、「言葉」を民主化することはできない。言葉は時代につれて変わる。候文が口語文に変わったのは、なにも日本的封建制の崩壊とは関係がない。「朝日」は何か勘違いして力んでいるのである。

同紙は連載当時、伊藤正己東大名誉教授を会長とする「紙面審議会」をもっていて、その11月会合で「皇室報道と敬語」につき、有識者の意見を聴取した。結論はこうであった。「社としてはこれらの意見を参考に、基本的には『開かれた皇室』をめざしつつ、事実に即した報道につとめたいと考えています」。

まるで自分たちの一存で皇室を開いたり閉じたりできるかのような尊大さではないか。「菊のカーテン」の見通しがよくなったのは、皇室ご一統が長年にわたり努力されたからでこそ、なのだ。

敬語は日本語の美しい襞である。伝統的に守られてきたこの美しさを次世代に引き継ぐべきだ。

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ブログ子は昭和天皇が崩御されたとき、編集責任者であった。実はそれよりだいぶ前からもしもの時に備えて紙面を作っていた。これが漏れたら自分の首が飛ぶのはもちろん新聞社を廃業するほどの大事であるから。二重にカギをかけて、管理していた。

我が新聞はその時から「崩御」の見出しだったが、朝日新聞では「死去」を検討していた。どこの社もわが社と同じ試刷りを作っていたことは暗黙の了解事項だったし、各社に親しい友人がいるので情報は入ってきたのだが、皇族の時に使う「薨去」を通り越して一般人の時に使う「死去」を使おうという強硬派がいたという。あまりにもひどかろうという「良識派」がいて、本番では各社と同じ「崩御」になったと後日、ある人の通夜の席で当時の経営のトップから聞いた。

ブログ子は社会部のガサツな中で育って乱暴な言葉に慣れていたが、あるとき皇室記事を書くことになった。さあ大変である。特殊な用語が多いのもあるが「敬語」の使い方がなってない。やたら「お」をつけたり、「された」「なられた」が多くて自分で読み返してもぎこちない。宮内庁記者クラブの先輩に見せたら、ひょいひょいと手を入れてくれた。3分の1は消えた。素人は名詞に「お」をつけたがるが、いらない。動詞に敬語を使えばいいのだと教えられた。上で産経が「お誕生日」と書いているがこれなど消しても「不敬」には当たらないのである。

美智子皇后さまが被災地を見舞われたときなどの言葉遣いはほどよい敬語をまじえて実に美しい。朝日ほど恣意的に敬語を排斥しなくても、天皇皇后両陛下の挙措動作を見ていれば自ずと出てくる敬語があるはずである。

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