「慰安婦記事を捏造した」と指摘され、名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆氏が、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と新潮社などを相手に計3300万円の損害賠償と謝罪記事の掲載などを求めた訴訟。その第1回口頭弁論が4月22日に札幌地裁であった。両者は札幌の司法記者クラブでそれぞれ会見し、それぞれの主張を報道陣に訴えた。
「櫻井よしこ Vs 植村隆」の会見、はっきり言って論客・櫻井さんの前にコテンパンに論破されたのだが、朝日新聞は櫻井さんの会見にディベートに長けた記者を送り込み突っ込んだ質問を矢継ぎ早に畳みかけたのだが、ことごとく跳ね返された。地元北海道で朝日と同じ捏造記者擁護をしている北海道新聞(道新)は4人の記者が他社の質問を遮るように質問したが、同じく論破された。
熱心な質問ぶりだった朝日は記者会見の内容をまったく報道せず、道新もネットで見る限り同じ。記者会見での「熱意」に比べ報道ぶりは「冷淡」そのもの。ただ一紙、産経だけが会見詳報やもとになった櫻井さんのコラムなど10本を掲載しているので興味ある方はそちらを見ていただきたい。ここでは概略を述べるにとどめる。
植村隆氏の会見場には大きく「私は捏造記者ではない!」の横断幕がある。よほどこの「捏造記者」呼ばわりがこたえているのだろう。「私の記事を標的にして捏造と決めつけ、私と朝日新聞に対する憎悪をあおった」などと主張したのに対し、櫻井氏は、「事実とは異なることを書き、意図をもって訂正しなかったとすれば、それを捏造記事と評したことのどこが間違いか」と見事に核心部分をついた応答だった。
対して「捏造記者」の方は「裁判長、裁判官のみなさま、法廷にいらっしゃるすべのみなさま。知っていただきたいことがあります。17歳の娘を持つ親の元に、「娘を殺す、絶対に殺す」という脅迫状が届いたら、毎日、毎日、どんな思いで暮らさなければならないかということです。そのことを考えるたびに、千枚通しで胸を刺されるような痛みを感じ、悔し涙がこぼれてきます」と泣き落とし戦術に出た。
「櫻井さんは、慰安婦と『女子挺身隊』が無関係」と言い、それを捏造の根拠にしていますが、間違っています。当時、韓国では慰安婦のことを『女子挺身隊』と呼んでいたのです。他の日本メディアも同様の表現をしていました」という言い方をしている。うそである。「捏造記者」は現在57歳である。若者ならいざ知らず昭和10年代から30年代の戦前戦後を生きた日本人なら、看護婦や農山村への勤労奉仕に駆り出された未婚の女性たちとピー屋と呼ばれたところにいた慰安婦を一緒にするなどということはありえないのである。しかも朝鮮籍女性は挺身隊には選ばれなかった。「慰安婦のことを『女子挺身隊』と呼んでいた」などという者は当時の朝鮮にもいなかった。戦後の韓国で歴史を知らない人々が作り出したものなのである。
植村隆氏のいかがわしさを櫻井さんは次のように指弾している。「初めて名乗り出た慰安婦を報じた植村氏の記事は世紀のスクープでした。植村氏は91年12月に再び(強制連行されたという)金学順さんの記事を、今度は、実名を出して書いています。その中でもこの間違いを訂正していません。むしろ、キーセンの検番のあった平壌から中国に連れて行かれたときのことを、植村氏は「『そこへ行けば金もうけができる』。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました」と金さんが語ったと報じました。「地区の仕事をしている人」とは一体誰か。それは彼女が語っています。検番の主人のことです。しかし植村氏は「地区の仕事をしている人」という曖昧な表現を用い、彼女がキーセンに売られたことを報じませんでした。
植村氏はキーセン学校に通っていたことは必ず慰安婦になることではないと考えたから書かなかったと、朝日の第三者委員会に説明しています。しかし、真の理由はキーセンに売られた経歴を書けば、植村氏が8月に書いた『女子挺身隊の名で戦場に連行』されたという記述と矛盾し、記事が間違いであることが判明するから書かなかったのではないでしょうか」。
最後に櫻井さんの熱血あふれることばを紹介する。
植村氏は捏造と書かれて名誉が毀損されたと訴えています。しかし植村氏は、自身の記事がどれだけ多くの先人たち、私たちの父や祖父、今歴史のぬれぎぬを着せられている無数の日本人、アメリカをはじめ海外で暮らす日本人、学校でいじめにあっている在外日本人の子どもたち、そうした人々がどれほどの不名誉に苦しんでいるか、未来の日本人たちがどれほどの不名誉に苦しみ続けなければならないのか、こうしたことを考えたことがあるのでしょうか。植村氏の記事は、32年間も慰安婦報道の誤りを正さなかった朝日新聞の罪とともに、多くの日本人の心の中で許し難い報道として記憶されることでしょう。
植村氏は私の記事によって、ご家族が被害を被った、お嬢さんがひどい言葉を投げつけられたと、私を論難しています。言論に携わる者として、新聞、雑誌、テレビ、ネット、全てのメディアを含めて、本人以外の家族に対する暴言を弄することは絶対に許されません。その点では私は植村氏のご家族に対する同情の念を禁じ得ません。
今日、この法廷に立って、感慨深いものがあります。私はかつて「慰安婦は強制連行ではない」と発言して糾弾されました。20年ほど前の私の発言は、今になってみれば真実であると多くの人々が納得しています。
最後に強調したいことがあります。氏が、言論人であるならば自らの書いた記事を批判されたとき、なぜ言論で応じないのか。言論人が署名入りの記事を書くとき、もしくは実名で論評するとき、その覚悟は、いかなる批判にも自分の責任で対応するということでしょう。言論においてはそれが当たり前のことです。
しかし、植村氏はそうはせずに、裁判に訴えました。内外で少なからず私の名誉を傷つける講演を重ね、まるで運動家であるかのように司法闘争に持ち込んだ植村氏の手法は、むしろ、言論・報道の自由を害するものであり、言論人の名にもとる行為ではないでしょうか。民主主義の根本は、自由なる言論の闘いによって、より強化されます。発言の場を有する記者がこのような訴訟を起こすことを、私は心から残念に思うものであります。