16日午後5時10分ごろ、神奈川県横須賀市米が浜通の「海軍料亭 小松」から出火、木造2階建て1棟延べ約1300平方メートルを焼いた。隣接するマンションの女性(76)が煙を吸って病院に運ばれた。小松は1885年8月創業。旧日本海軍ゆかりの料亭で、東郷平八郎や山本五十六らが利用し、2人が書いた掛け軸など多くの海軍関係資料を保有していた。小松はこの日は定休日だった。
「小松」は同市に旧海軍横須賀鎮守府があったことから歴代の海軍幹部に利用され「パイン」の愛称で親しまれた。1923年11月に現在地に移転し、営業を再開。戦後は海上自衛隊、在日米海軍関係者に利用されてきた。
この火事が与える衝撃は今の社会部記者には想像がつかないようで、一部の新聞、それも県版、地方ニュースとして扱われていた。一番知りたいことは、東郷平八郎以下代々の提督が揮毫した掛け軸がどうなったかだが、現在の女将の親戚で弁護士の呉東正彦さん(56)は「東郷平八郎や山本五十六らの掛け軸などは全部ダメだったと聞いた」、と話している(読売)。
ブログ子は海軍関係ではないが新聞社の横浜総局長をしたことがあり、一夕「小松」での宴に連なったことがある。女将は当時すでにかなりの高齢であったから代替わりをしていると思うが、大広間に案内されて、写真のような提督たちの達筆の書を見せられた。当時の海軍で上に立つような人は皆、書をよくしてそれぞれに人柄がよく出ていた。
戦後、横須賀の米海軍や海上自衛隊幹部も使ったから、今に至るまでの提督の書がある。個人的に親交があった「K」氏のことを聞いたら「もちろんありますよ」と女将はその人柄まで語った。「K」氏は海軍兵学校で恩賜の銀時計だか短剣だかを持っていると人づてに聞いたが、戦後の海上自衛隊で潜水艦隊育ての親とされる人物である。横須賀艦隊司令、昔なら東郷平八郎と同じ連合艦隊司令長官や防衛課長の要職を務めた。
防衛庁(当時)が六本木にあったころ、訪ねたことがあるが、私室に通されたら、机上の太平洋の地図の上に海上自衛隊の潜水艦のその日の位置が小さな木型の模型で示されていた。極秘であろう情報だが、当方を信頼してくれたかド素人と見たかわからないが、息をのんだ覚えがある。
防衛大学校も横須賀にあるので、自衛隊幹部なら一度は「小松」に上がったことがあるはずである。これから再建支援などの話が出てくるのだろうが、日本の「記憶遺産」としてぜひ再建してほしいものだ。