最高裁が花押を「印」と認めない判決を出した(6月3日)。花押(かおう)はもともと戦国国武将らに使われてきた手書きのサインのようなものだ。今回の判決は、「花押」が遺言書にしたためられていたが、はたしてこれが、公式に必要な「印」にあたるかが争われた訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(小貫芳信裁判長)は、「花押は押印とは認められない」とし、遺言書を無効と判断した。その上で、花押を「印」と認めた2審判決を破棄し、審理を福岡高裁に差し戻す判決を言い渡した。
判決によると、遺言書は、琉球王国の名家の末裔にあたる沖縄県内の男性の名義。男性は2003年に85歳で死亡し、遺言書には、息子3人のうち、次男に山林などの不動産を全て譲るとする内容が書かれていた。1審・那覇地裁と2審・同高裁那覇支部はいずれも、花押を印と認め、遺言書を有効と判断していた。
花押は現代にも生きていて、その最たるものが、内閣で各大臣が公式文書に署名の下に花押を押す行為に生きている。かといって各大臣そんなもの使ったことはないから大臣になると、大急ぎで「花押製作者」の世話になって自分の花押を作っている。
最高裁の判決に違和感を持つのは、花押を単なるいたずら書き程度に認定した点である。歴代の著名人物の花押を見てもわかる通り、サインなどより複雑で模倣される可能性の点でもはるかに「署名」を上回る。ただ現実の社会では花押など使っている人はごく一部の人であることである。
「実印」などよりはるかに独自性があり、複雑で模倣しづらい点では「実印」より上である。それを最高裁判決では「無効」と断じている。おかしくはないか。あらゆる公式文書に求めている「実印」を無効というに等しい判決である。