電通がそんなに過酷な会社なんて信じられない

電通の女子新入社員が自殺、過労死と認定された事件、7日の朝、東京・汐留の電通本社ビルに東京労働局の担当者約30人が家宅捜索に踏み込んだ。高橋まつりさん=当時(24)=の遺族が過労自殺を公表して1カ月、支社、子会社も含めた立ち入り調査から強制捜査へと進んだ。

電通本社

電通本社

電通は9日、約60年にわたって社員手帳に記されてきた社員心得「電通鬼十則」を、2017年版の手帳から削除すると正式に発表した。

ブログ子は新聞社に40余年いた。この間電通の社長、局長、支社長以下、営業で新聞社ごとにほぼ「常駐」している担当など何十人と付き合ってきた。ある社長とは新橋のラーメン屋をひいきにしてしょっちゅう一緒したし、飲み会、海外旅行、ゴルフ、毎年の電通新年会、電通運動会に至るまで顔を出して中には家族同士の付き合いをして、今でも年賀状のかなりの数はOBからのものだ。その半分ほどの人数だが博報堂の人間とも付き合った。

ほかの人より電通を知っていると思うのだが、彼らとの交際を振り返ってみて、どう考えても電通が過酷な職場だとは思えないのである。ブログ子と飲み屋で夜中まで酔いつぶれた電通マンの勤務を「残業」と認定しても、、自殺までするほど過酷な働きぶりだとは到底思えない。

そこで調べてみたのだが、高橋まつりさんは2015年12月25日金曜日、つまりクリスマスに都内にある電通の女子寮4階の手すりを乗り越えて飛び降り、亡くなった。彼女はインターネット広告を担当する部署に所属していた。試用期間後に正社員になると、10月以降1カ月の時間外労働が労基署認定分だけでも約105時間に。過労死ラインとされる80時間を大きく上回っていた。

推察するに、電通の中でも電子メディア部門特有の過酷さがあったのではないか。紙媒体と違い24時間対応を余儀なくされるのと、クライアントとの交渉がどうしても個人単位になるので余人に容易に引き継げないから、一人で背負うことが多くなるのではないか。

ブログ子は新聞社で初のWEB媒体をスタートさせた。ZAKZAKといったがこのスタートは1996年8月だった。この直前電通はじめ多くの広告会社を集めてインターネットとは何か、広告収入がアクセス数に比例する仕組みなどを一から説明した憶えがある。WEBの方はものすごい反響でその年の12月電通にやっと電子メディア局ができた。いまもその通りの名かどうか知らないが、この時の電子メディア局の予算(収入)が10億円そこそこだった。将来伸びるとは言われたものの現在のような巨大なスケールに発展するとは予想外のことだった。第一Googleがまだ日本に上陸していなかったのだから。

今回外された「電通鬼十則」がこのころ大手を振って喧伝されていた。4代目社長吉田秀雄によって1951年につくられた電通マンの行動規範とも言えるもので、真似をする企業が多かった。なにしろ世は「モーレツ時代」だった。

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

ブログ子が付き合った連中は「鬼十則」とはかけ離れた者が多く、よく「おい十則を読んだことあるのか」と冷やかしたくらいだ。直後。浜離宮そばに現在の超高層ビルを建てた。おりしもNYの「9.11テロ」である。東京湾に直面しているビルなので「飛行機が突っ込むにはうってつけの立地条件だ。あまり社にいないほうがいいそ」と脅したりしたくらいだ。

高橋さんのツイッターには、
<休日出勤えらいなぁとか思って出社したけど、うちの部に限っては6割出社してた。そりゃ過労で死にもするわ>(10月12日)
<誰もが朝の4時退勤とか徹夜とかしてる中で新入社員が眠いとか疲れたとか言えない雰囲気>(10月15日)
<やっぱり何日も寝られないくらいの労働量はおかしすぎる>(10月27日)
<土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい>(11月5日)
<1日20時間とか会社にいるともはや何のために生きてるのか分からなくなって笑けてくるな>(12月18日)

ブログ子は「1日20時間会社にいる」ことがザラだった。一つのニュースを仕上げるとなると簡単には他に引き継げない、自分だけの段取りでやることが多いという仕事ゆえだ。それでも自殺しないで生きながらえている。働き方が激変したとしか思えない。

コメントは受け付けていません。