「北方四島」で思うギリヤーク人の顔

ソ連共産党の一党独裁放棄の時期などにモスクワ特派員を務めた斎藤勉・産経新聞大阪代表が、北方四島での「共同経済活動」実現に向けた協議開始で日露が合意したことについて「ひっくり返りそうになるくらい怒りがわいてきた」と発言。領土問題で進展がない一方、事実上の経済援助となった内容を批判した。安倍晋三政権についても「歴史の正義をなげうとうとしている」と厳しく指摘した。(産経)

ロシアが四島を占拠した経緯といい、今回の「いいとこ取り」の合意といい「火事場泥棒」より穏やかな言葉を探せずにいる。どれだけ筆先を丸めても、「不法占拠」という事実は変えられない。それを脇に置いて、強まる両国の信頼などあるまい。(産経抄)

日ロ首脳長門会談

日ロ首脳長門会談


斎藤代表も産経抄子もブログ子の元同僚であり、後輩なので「一方的に領土を強奪された国家犯罪。犯罪である以上、4島耳をそろえて返してもらう以外にない」という主張に共感し応援するところが多いのだが、他の手段が浮かばない以上、ここは安倍首相の乾坤一擲に任せるしかないと思う。

ブログ子は、プーチン・安倍両首脳の共同会見を見ていて、網走で会ったギリヤーク人たちの顔が浮かんだ。北方四島からは2万7000人の日本人が強制的に日本に「引き揚げ」させられた。テレビ、新聞とも日本人だけのように報道しているが、実はほかの北方民族もソ連に追われて日本に来ている。根室だけでなく網走、釧路に彼らは移住した。

いま戦後70余年だが、ブログ子が彼らに会ったのは「戦後30年」くらいの時である。北方四島には日本人のほか樺太アイヌやニブヒ(ギリヤーク)、オロッコなどの北方民族の人々が住んでいたことが忘れられているというので、その代表者たちと会った。ちなみにギリヤーク人というのは今では「ニヴフ」(あるいはニヴヒ、ニブフ、ニブヒ)と呼称している。またオロッコというのは蔑称だというので、今ではウイルタと呼ばれる。

多くはモンゴロイド系で日本人と同じような顔つきをしているが、会った人の中には民族名を忘れたが、西欧人のような人もいて、多くの民族がアリューシャン列島を伝って南に南に下りてきたことを実感したものである。彼らもまた、ソ連軍の悪逆非道を訴え、一日も早く島に帰りたいと口をそろえていた。

ブログ子はロシア語をかじったので少しロシア人がわかるのだが、日本人と違ってスラブ民族というのは一筋縄ではいかない。プーチンが会談ですこし笑顔を振りまいたというので希望的観測をいだくお人よしの日本メディアなど太刀打ちできっこない。フョードル・ドストエフスキーの長編小説「罪と罰」で主人公ラスコーリニコフが吹雪の中、馬車や旅籠をさまよい歩くだけの描写と心理の葛藤だけで34ページである。首脳会談16回くらいでどうにかなると考えるのは日本人だけである。

ロシア経済はどん底である。困っているのはあちらである。経済協力1兆数千億円で「いいとこ取り」されないよう願うばかりである。息継ぎの長い彼の国相手では、安倍長期政権でないととても渡り合えるものではない。ギリヤーク人が言っていた。「昨日、島を後にした気持」、この時戦後30年である。とりあえず「戦後100年」を目途にするくらいの気持でちょうどよい国だと思う。

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