百貨店首位の三越伊勢丹ホールディングス(HD)は、札幌、新潟、静岡にある5店舗について、売り場面積の縮小や業態転換を含めた構造改革を行う方向で調整に入った。現在グループで営業する26店のうち11店舗をリストラし、経営の効率化を図る。大西洋社長(61)が責任をとって3月末に辞任するという。
大西氏は2009年6月、古参役員を飛び越えて伊勢丹社長に53歳で就任。60代が幅を利かしていた百貨店の社長職として異例の登用だった。大西氏は紳士専門館「伊勢丹メンズ」を成功に導き、アパレル不振の中、自らが産地に出向き商品作りを要請した。「ミスター百貨店」とも言われたが斜陽の屋台骨は支えきれなかった。
全国百貨店協会が発表した「平成28年全国百貨店売上高概況」によると、2016年1月~12月にかけての全国の百貨店売上高は前年比2.9%減の5兆9780億円だった。全国の百貨店売上高は1991年の9兆7,130億円をピークにその後次第に減少し現在は当時の半分近くに落ち込んでいる。ここ数年は中国人観光客による爆買いに支えられていたが、それもここのところ沈静化、爆買いバブル消滅とともに下落傾向に拍車がかかった。
百貨店の時代は死んだのである。「今日は帝劇、明日は三越」と言われた黄金期はとうの昔に潰えて、昭和57年(1982年)、三越社長の岡田茂(当時67歳)と愛人の竹久みちgが会社を私物化し多大な損害を与えたとして「特別背任罪」で警視庁に逮捕された「三越事件」で岡田ワンマンぶりと、「三越の女帝」といわれた竹久の私腹を肥やす無軌道ぶりの経営に世間の注目が集中したあとは下り坂だった。
我が家を振り返ってもこの10年間で百貨店に行った者は皆無である。進物品は三越か高島屋の包装紙でないとと言っていた祖父母も世を去り、贈る側も贈られる側もスーパーの包装紙だろうが、通販だろうが気にしなくなった。
三越日本橋店には車寄せに皇族の顔を残らず覚えている幹部が控えていた。あれこれ口頭で買い物されたものを即刻宮家にお届けするだけの役で、これをなんとか取ろうと高島屋が「皇室アルバム」の放映を始めたなどという陰口が聞こえてきたものである。大阪にいたが、ミナミの難波にある高島屋から心斎橋を歩き、端っこにある大丸、そごうとデパート巡りをしたものだが、今は昔である。
そのころ、一般でも外商扱いというのがあった。家内の実家は芦屋だったが、家には外商が出入りしていて、デパートに行っても「帳場前主」(「チョウバゼンシュ)扱いでお金を持参したことがないという。「帳場前主」というのはデパートの隠語で、つけで買っていく上客のことをいうのだが、こういうのに頼った商売が時代に合わなくなっていったのだろう。
言うなれば、百貨店業界は小売業界の時代の変化に対応出来ていなかった。スーパー・ダイエーが出てきた時、「ダイエーの包装紙でものがやり取りされるだろうか」と居直っているうち、ダイエーは消えたが、若者は当然のようにネッ ト通販を利用するし、店頭で商品に触れる習慣も消え、パソコンやテレビの画面で見ただけの商品を平気で買ってしまう世の中になった。
銀座三越の前にある和光も赤字転落した。持株会社セイコーホールディングスの純利益は95.0%減のたったの6億円だという。1881年に服部金太郎が前身の「服部時計店」を創業したことから始まるセイコーは1895年に現在の和光がある場所に時計台を設置した後に移転した。2016年に創立135周年を迎えている。和光は1947年に小売部門を継承したことで創立した会社で2017年が創立70周年。しかし2020年の東京オリンピックではセイコーは採用されずスイスのオメガが選ばれるなど斜陽の影がひたひたと。
なにやら銀座四丁目あたり一帯はゴーストタウンになりそうな雲行きである。
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退院しました。ブログ再開します。