死刑囚が「天寿を全う」する時代

 昭和49年から50年にかけて「東アジア反日武装戦線」を名乗って東京・丸の内の三菱重工ビルを爆破するなどした「連続企業爆破事件」で死刑が確定していた大道寺将司死刑囚(68)が24日午前、収容先の東京拘置所で死亡したことが同日、関係者への取材で分かった。関係者によると、大道寺死刑囚は多発性骨髄腫のため、抗がん剤治療を受けていたが「どんどん体力が落ちていた」という。

三菱重工ビル前の爆発の惨状

 三菱重工事件では8人が死亡、376人が重軽傷を負った。過激派「東アジア反日武装戦線」の「狼」「大地の牙」「さそり」の3つのグループが犯行声明を出し、警視庁は9カ月に及ぶ内偵捜査の末、50年5月19日、リーダーの大道寺死刑囚ら8人の一斉逮捕に踏み切った。これをスクープしたのは産経新聞で、逮捕の瞬間を取ったのも産経のカメラマンだった。
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ブログ子にとって思い出の多い事件だった。まず発生の時現場にいた。取材で大手町の新聞社にほど近い東京駅付近にいたので、爆発直後現場に入った。まだ火薬のにおいがして肉片がそこここに散らばっていた。ふらついている人に聞いたら「プロパンガスを積んだトラックが何かのはずみに爆発した」という証言があった、ビルの玄関前に深さ1.5メートルほどの穴があいていたが、その証言を第一報で送った。とんでもない誤報だがそう信じるような現場であった。

地下出版された爆弾の製造法やゲリラ戦法などを記した教程本「腹腹(はらはら)時計」と用いられたタイプライターの字体が同一であり、 同じ機種で打たれていたことが判明、ゲラ刷りの現物を手に入れて読んだりした。

大道寺将司に行きつき、逮捕の瞬間までスクープをしたのは産経新聞だったが、立役者の2人はブログ子のよく知る人物だった。

特別捜査本部は当初被疑者として、アイヌ人解放など「東アジア反日武装戦線」と革命理論が酷似しているとして、 当時「新左翼評論家」であった太田竜を拘束したが、やがて潔白と分かり釈放した。しかし、この太田竜が関係していた「現代思潮社」「レボルト社」に狙いを定めた結果、その捜査対象であるアパートに たまたま届いていた北海道からの荷物によって齋藤和と佐々木規夫が浮上し、この二人を追尾していくうちに、 犯行グループと思われるメンバーが一人二人と把握されていった。ある日、近所の公園で佐々木が一台のセダンと接触した。 浮浪者を装って近づいた捜査員がナンバーを確認、その番号から大道寺将司、あや子夫妻にたどりつく。

産経の福井惇・警視庁記者クラブキャップはスクープの前夜、土田國保・警視総監を訪ねた。最後の確認である。記事の差し止めを要請する警視総監、「もう輪転機が回っています」という福井キャップ、「なら輪転機を止めてくれ」という警視総監。この間のやり取りは『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(門田隆将著・小学館刊)に詳しく、2015年5月22日フジテレビ系で再現ドラマ「連続企業爆破テロ 40年目の真実」として放送されたから記憶の方もいるだろう。

小野カメラマンのスクープ写真、大道寺逮捕の瞬間

逮捕の瞬間の取材合戦もすごい。 警視庁から出る車を追跡する記者たちが次々とまかれるなか、逮捕現場までたどりついた小野義雄カメラマンが大道寺将司の逮捕の瞬間の撮影に成功するまでの駆け引きもすさまじいものがあった。

福井惇氏は2014年10月亡くなったが、その3カ月ほど前、外国特派員協会でガンに倒れた元記者の偲ぶ会でお会いしたのが最後だった。小野カメラマンはブログ子がある県の支局長に赴任した時デスクでいて、今も「名刑事平塚八兵衛の伝記を書いた」とか警察大学でおしえているとか便りをくれる。

この事件はその後の経過も特異だった。1975年8月に日本赤軍によるクアラルンプール事件で佐々木規夫が超法規的措置で釈放され逃亡。また1977年には日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件で大道寺あや子と浴田由紀子がやはり超法規的措置で釈放され、 国外逃亡した。

裁判では1987年3月24日に大道寺将司と益永利明への死刑、 黒川芳正に無期懲役、 協力者には懲役8年が確定。 1995年には 逃亡していた浴田由紀子がルーマニアで潜伏中に身柄を拘束され日本に移送となり、懲役20年が確定した。

大道寺将司は 国外逃亡した大道寺あや子と佐々木規夫が国際指名手配されたままで、いわば捜査が終わっていないという理由と、死刑廃止派の弁護士たちが都度、再審請求していたため、 死刑は執行されていなかった。

ブログ子が新人記者の時一審を取材した名張毒ブドウ酒事件の奥西勝死刑囚は9回の再審請求の末2015年10月4日、89歳で八王子医療刑務所で死亡した。これまたブログ子が群馬の山中をほっつき歩いて取材した連合赤軍事件の永田洋子死刑囚は2011年2月5日腫瘍による多臓器不全で65歳で死去した。オウム事件の死刑囚は一人として刑を執行されずにいる。今度また大道寺将司死刑囚が「天寿」を全うした。死刑制度が有名無実化している。

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