46年間逃亡の末、中核派のむなしい半世紀

 昭和46年に警察官が殉職した過激派による渋谷暴動事件をめぐり、殺人容疑などで警視庁が全国に指名手配していた過激派「中核派」の大坂正明容疑者(67)とみられる男の身柄を大阪府警が広島県内で確保していたことが22日、捜査関係者への取材で分かった。警察当局はDNA型鑑定を行うなどして身元の確認を進める。

 

今では中年のおっさんだろうが、46年前の手配書の大坂正明。

渋谷暴動事件は46年11月14日に発生。沖縄返還協定の批准阻止を訴える中核派などのデモ隊が、渋谷駅周辺で機動隊員や派出所を襲撃し、新潟県警から応援派遣されていた中村恒雄巡査=当時(21)=が火炎瓶を投げつけられ、大やけどを負い死亡した。

 捜査関係者によると、府警が今月18日、兵庫県内のホテルに偽名で宿泊したとする事件の関係先として、広島県内の中核派の拠点を捜索し、現場にいた男を有印私文書偽造・同行使容疑などで逮捕した。一緒にいた別の男も公務執行妨害容疑で逮捕したが、特徴などからこの男が大坂容疑者の可能性があるという。(産経新聞)

ブログ子は60年安保では機動隊に追われる立場で札幌で検挙されたことがある。70年安保では機動隊の後ろで取材する立場で、催涙ガスの日比谷交差点にいた。渋谷暴動事件もいまでこそ中核派のこの男の犯行と「断定」されているが当時は過激派は核マル、社青同など入り乱れどれがどういう思想かなどもうわからなくなっていた。

半世紀もの逃亡の末逮捕された男はいまだ完黙というからまず間違いなかろう。この間中核派に匿われていたのだろうが、大した組織力である。大坂の履歴もほとんどわかっていない。北海道出身で早稲田大学政治経済学部卒。痩せ型でややくせ毛で身長178センチ。そのうち写真が出るだろうが67歳だというから初老のおっさんであろう。

中核派はそもそもの正式名称は革命的共産主義者同盟全国委員会という。当初は本多派、前進派などと呼ばれていといった、機関誌も「前進」といいい、ブログ子が取材したころは豊島区千早にあり、鉄筋コンクリート5階建ての威容から、楠木正成の居城になぞらえて「千早城」の異名をとり「難攻不落」を誇ったがその後身売りして東京都江戸川区松江1-12-7に「都落ち」している。

いつも書くことだが、過激派生活半世紀、あはれにもむなしい人生である。

コメントは受け付けていません。