三たび ウクライナの話

三度、ウクライナの話に触れるのは、現在上映中の映画「ドストエフスキーと愛に生きる」を知って感銘を受けたからである。ブログ子は新潮社の「考える人」編集長、河野通和氏のブログを愛読しているのだが、その今週号で ―翻訳という夢を生きて―というタイトルでこの映画の主人公であるドイツを代表するロシア文学の翻訳者、スヴェトラーナ・ガイヤーさんのことが紹介されている。本人はすでに2010年11月に87歳で亡くなっていて、この映画は最晩年の2006年から彼女に寄り添って撮影されたドキュメンタリーである。
ガイヤー
彼女はウクライナ共和国のキエフ生まれ。15歳の時に、農学者だった父親がスターリンの大粛清の犠牲となり、逮捕される。それからの数奇な運命はため息が出るほどだが、映画ではそんなことは微塵もださず魅力的な日常が紹介されている。その模様は文末に紹介するこのブログへのリンクからお読みいただきたい。

日本は島国だったから、ありがたいことに一度も侵略されず民族の統一性を保ってこれた。武士道という高い倫理観に裏打ちされた高邁な理念が日本人に受け継がれて来たのもそれ故だが、大陸ではそうは行かない。ウクライナという国を見ても絶えず周辺から侵略されて国家として立ったのもごく最近に過ぎない。

チトー亡き後のユーゴスラビアの内乱を見るとき、どうして、こんな狭いところに異民族がひしめき合い、挙句に殺し合いまで発展するのか世界史を学んだ時からの謎だった。ようやく民族大移動の端緒となったモンゴル帝国の侵略の凄まじさを知って理解したのだが、騎馬軍団を見たこともなかった人々が1日100キロ近いスピードで、噂が届くより早く押し寄せ、男は殺されるか奴隷に、女は陵辱される恐怖におののいた。逃げ惑う民族が西へ西へと進み、それまで居た民族はさらに西へと追い出される。イギリスとても大陸にいたのが現在のイングランドに押し込められたと知ってようやくユーゴの紛争がわかる。

北海道大学に「スラブ研究センター」がある。日本におけるスラブ・ユーラシア地域研究の拠点で全国の大学の全国共同利用施設になっているが、学生時代、そばを通っても「アラブ」の間違いではないかと思ったほど疎かった。

スラブ民族という、一つの民族があるわけではなく、インド・ヨーロッパ語族スラブ語派に属する言語を話す民族集団を指す。東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)、西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)、南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)に分けられる(ウイキペディア)。

スラブ人の最大の特徴は言語が似ていることで、国は違ってもスラブ人同士の意思疎通は可能で、セルビア人とロシア人、スロバキア人がそれぞれの言語で話しているのに内容は理解し合える程だという。またスラブ系の国々の国旗はロシアのように、赤、青、白の組み合わせからできているところが多い。

ロシア軍の実効支配が進むウクライナ南部クリミア半島では人口の6割を占めるロシア系住民を中心にロシアへの併合を求める声が強まっている。「我々はロシア人だ。ウクライナに編入されたが、本来のロシアに戻るのだ」とテレビで叫ぶ住民の姿を見ると一見もっともらしいが、歴史を遡ればこの地はもともとタタール人のものだった。

クリミア半島のタタール人は1944年にドイツ軍に協力していると嫌疑をかけられ、スターリンの命令でウズベク共和国(当時)やシベリアなどに全員が強制移住させられた。本格的な帰還はゴルバチョフ政権下の80年代後半に行われたが、そこにはすでに多くのロシア人が移住していた。漢人が移住してこれを中共政府が支援して弾圧を続けて今やテロの温床となっているチベット、ウイグル両自治区の構図と同じである。100万人ほどいるイスラム教徒の少数民族クリミア・タタール人は、迫害を恐れて息を潜めているのだ。

ウクライナはソ連、ロシア時代を通じて絶えず弾圧され、すでに多くのウクライナ人が海外へ脱出している。ユダヤ系住民は多くがイスラエルに移住していて、あちこちにロシア語の村々が出現、道路標識はヘブライ語、英語、そしてロシア語だ。ソ連の支配を潔しとしない人々の海外移住先として最も大きなコミュニティーがあるのはカナダで、約120万人のウクライナ系コミュニティーがある。カナダで英語、フランス語に次ぎ話されている言語はウクライナ語だ。(佐藤優氏・元外務省主任分析官)

そこで最初に紹介したスヴェトラーナ・ガイヤーさんだが、映画の原題は「五頭の象」である。彼女が翻訳したドストエフスキーの5大長編小説――「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「未成年」、「カラマーゾフの兄弟」を5頭の象に見立てたものだ。

「本を前にして、翻訳する時に先生にドイツ語で言われた言葉がある。“翻訳する時は鼻を上げよ”。翻訳とは左から右への尺取虫じゃない。翻訳は全体が大事。文章の全体を自分の内側に取り込んで、心と一体化する。翻訳する時は鼻を上げよ」という文章が出てくる。文学に限らず政治、外交、経済すべてに当てはまると思う。

ブログは下記のURLだが、映画はまだ上映中だ。

http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/578.html

蛇足だが前々回に紹介したウクライナ名物「FEMEN」。どこに行ったかと書いたが、健在のようで、渦中のクリミヤで「プーチンくたばれ!」とやって手荒く扱われ、ニューヨークはタイムズスクエアで数人がウクライナの国旗の色に塗った胸を出してプーチン批判とロシアへの制裁を支持するメッセージを披露した。こちらは優しく扱われたようだ。ご希望の向きにはそのトップレス姿を提供するが如何?

コメントは受け付けていません。