11月から、秋田、青森、新潟、佐渡など日本海側に相次いで北朝鮮の漁船が漂着、同時に多くの遺体が打ち上げられている。その中で北海道松前町沖の無人島、「松前小島」にイカ釣りの漁船1隻がたどり着き、10人が上陸した。松前小島には夏の間だけコンブ漁で滞在するため小屋があるが、そこからテレビ、冷蔵庫、オートバイ、炊飯器などが持ち出されていて、巡視船が近寄ったとき海上に投棄している姿が確認されていたという。島にある灯台のソーラーパネルも3,4枚持ち去られていた。
今、この無人島に注目が集まっているが、ブログ子はこの小島の半世紀前の出来事を懐かしく思い出している。59年前の昭和37年夏、北大探検部員数人が松前の沖合25キロにある、この無人島に上陸、10日ほど自活したことがあるからだ。
ブログ子は教養部の同級生の友人と2人で北大探検部を立ち上げた(現在も存続しているようだ )。この夏の事業として①函館から海上保安部の巡視艇で無人島に送ってもらい10日後に迎えに来てもらう間に、自分で釣った魚と岩陰にいるウニ、アワビを食べ、島に自生している植物で生き延びる②京大との共同企画でアフリカに類人猿研究チームを派遣③スクーターによる根室・納沙布岬から鹿児島。佐多岬までの日本縦断旅行――という企画を立てた。
ブログ子は③に参加したので、無人島に上陸はしていないのだが、企画書を書いたのである程度は島のことは把握していた。現在のような立派な漁港はなくて、簡単な船着き場くらいだった。崖を這い上るくらいの感じだったが、今回盗まれたことで分かったがオートバイを使うほどの道が作られているとは驚きだった。発電機なのだろうが、炊飯器やテレビもあるとはずいぶん「進化」したものだ。当時も灯台は無人だったと思うが、ソーラーパネルで発電する仕組みとは大変な進歩である。
今考えると、探検というよりテレビ番組でやりそうな企画で笑止千万であるが、当時はスポンサーを募るなど真剣だった。何人派遣したか思い出せないが、探検部員には非常用に少しのコメとマッチは持たせたものの、ほとんどは魚を釣ってその辺の海草やウニ、貝で自活することを目指し、離島の時には「立つ鳥跡を濁さず」を徹底させたたものである。北朝鮮の漁民もそのくらいのことはしてもよかったのではないか。
漁民の漂流事件から窃盗事件へ変化してきた。上陸を拒否しているというから、軍が関係した工作員の疑いかあるのも不気味だ。漁民の漂流とわかっても、北朝鮮には賠償金を払わせてから送還すべきだ。