大相撲が国技だなどと思うから混乱する

連日のようにワイドショーをにぎわせる日馬富士の貴ノ岩暴行事件。今では本筋を離れて沈黙を押し通す、貴乃花親方批判に傾いている。

「理事のくせに協会に協力しないのは組織人失格」
「改革したいからって、飲み屋のケンカを大騒ぎしすぎだ」
「正義感からかもしれないが、なにもしゃべらないのは頑固すぎる」

はては、「ファッションがヤクザみたい」「理事会でふんぞりかえって態度が悪い」などというのもある。昨日のテレビでは、貴乃花親方は、捜査が終わって送検されたら貴ノ岩の協会聴取に応じると言っていたのに、今度は起訴されたら応じると、引き延ばしをはかっている点を遠回しに批判していた。

どんどん見当外れな方向に進んでいる原因は大相撲が国技で、格闘技というスポーツの頂点に位置付ける点にある。まるで国旗、国歌と並ぶような扱いだが、実は国技でも何でもない。はっきり言えば「興行」である。

優勝力士に与えられる賜杯とてまるで天皇陛下から下賜されたようにふるまっているが、相撲協会が自分の金で作ったもので、競馬の天皇賞と同じようなものである。勝手に権威付けしたものだ。

もともと相撲部屋は「無理偏に拳骨」がまかり通る世界で、親方も弟子もそれを受け入れることから成り立っている。千秋楽7勝7敗の力士の勝率が異常に高くともここでは美談である。贔屓筋から呼ばれたら現ナマがもらえるから馳せ参じる。昔は「男芸者」といわれても文句は言わなかった。

親方は横綱を従えてあちこち回りタニマチからの祝儀を独り占めする。ブログ子は表参道で開かれた千代の富士の誕生パーティーに招かれたことがある。親方の北の富士に祝儀が行くのを目撃したから間違いない。地方巡業の実態も知っているが、地方の名士にはやくざが多い。まるまるやくざが仕切っているところも今もあるに違いない。

貴乃花親方が何を勘違いして正義感を振り回しているのか知らないが、大相撲というのは神聖なものでも高揚した日本精神の発露でもない。ほかのスポーツと違い、格闘技に見えるぶつかり合いを、神道の様式美というオブラートに包んで、大向こうを喜ばせる「興行」なのである。そうした視点から見たら、貴乃花の独り相撲が滑稽に見えるのである。

今回の事件でブログ子が下す処分である。日馬富士は引退したからこれでよい。貴ノ岩は診断書も出さずに休場したのだから降格である。わけのわからない行動で混乱させた若乃花親方は理事解任である。

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