皇后さまの和歌50首をドイツ語訳した歌集「その一粒に重みのありて」の出版を記念した行事が、ベルリンの日本大使公邸で開かれ、翻訳したボン大名誉教授の日本学者ペーター・パンツァーさんが「この50首に皇后さまのこれまでの人生が詰まっている」と語った。(1月16日共同)
この記事を見てブログ子は我が意を得たり、の思いを新たにした。毎年、歌会始を機に新聞には天皇陛下やその他皇族の方々の御製・御歌が掲載されるが、皇后陛下の御歌だけが突出していると思っている。「皇后陛下」というより「ミッチー」と言い慣れた世代だが、「美智子さま」の歌だけは毎年欠かさず読むようにしている。五感に訴えての心象風景、どこで身につけられたか大和言葉の揺蕩(たゆた)うような表現、平明でありながら美しいセンス。和歌で涙ぐむことなど絶えてないのだが、サイパンで詠まれたお歌ではその悲劇の歴史と相まって、涙が噴き出したこともある。
平成30年、今年のお歌は、
語るなく重きを負(お)ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ
来年の退位を控えて、これまで共に歩んで来られた責務から解放される陛下への安らぎがあふれている。こうした優しい思いやりは、これまで世界各国の訪問先で詠われている。平成7年のお題は「歌」だったが、
移り住む国の民とし老いたまふ君らが歌ふさくらさくらと
平成6年6月23日、米国ロサンゼルスの日系人引退者ホームを慰問された折のお歌である。この時、和服姿の皇后様は腰をかがめて、深く頭を垂れた老女の手をとられて、何事かを語りかけておられる。わざわざの和服をお召しになり老人たちの望郷の思いに応えられたのであろう。
よく演奏会にお出かけになるが、これは左手だけでピアノ演奏する館野泉氏のリサイタルから戻られる時の歌。
左手(ゆんで)なるピアノの音色耳朶(じだ)にありて灯(ひ)ともしそめし町を帰りぬ
「生きてるといいねママお元気ですか」文(ふみ)に項傾(うなかぶ)し幼な児眠る
当時、このブログでも紹介したが、東日本大震災に伴う津波に両親と妹をさらわれた四歳の少女が、母に宛てて手紙を書きながら、その上にうつぶして寝入ってしまっている写真を読売新聞紙上でご覧になり、そのいじらしさに打たれて詠まれた平成23年の歌。少女は「ままへ。いきてるといいねおげんきですか」と書いていた。
たはやすく勝利の言葉いでずして「なんもいへぬ」と言ふを肯(うべな)ふ
北京オリンピックで、北島康介選手が平泳ぎの百メートル決勝で世界新記で優勝、直後のインタビューで、思わず発したこの言葉をお聞きになった平成20年の歌。
いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏(あうら)思へばかなし
終戦六十年に当たる平成17年6月、両陛下はサイパン島に慰霊の旅に出られた。絶望的な戦況の中でアメリカ兵からの投降勧告、説得に応じず、島の果てのバンザイクリフ( Banzai Cliff)から80㍍下の海に身を投じた女性たちのことを思われてお詠みになった。ご自分で断崖に立たれた足裏の皮膚感覚で当時の女性たちへ思いを馳せる、素晴らしい感性で、当時身を投げる姿を映画で知っているブログ子は涙が噴き出した覚えがある。
かの時に我がとらざりし分去(わかさ)れの片への道はいづこいきけむ
昭和34年4月10日、ご成婚の馬車パレードのテレビ中継を桜満開の山形県米沢市の母の実家で見た。北大の入学式に向かう途中だった。戦後50年が過ぎた年のお歌だが、その「取りし片への道」のおかげで素晴らしい和歌に接することができる。戦後誕生した最高の歌人だと思う。
皇后陛下の歌は宮内庁のホームページで見ることができる。