国を背負って戦った選手は美しい

 

 

フィィギュアスケート男子で羽生結弦(23)の気迫あふれる滑りに安倍首相は「手にしたミカンを握りつぶしそうになった」と語っていた。ブログ子も大怪我から3カ月、完全に治るものだろうかとの疑念で目をつぶる思いだった。結果は金メダル、それも宇野昌磨と金銀独占である。

新聞各紙の号外が出てスポーツ紙も一面を大きな写真で埋め尽くしたが、どこにも出ていないエピソードをネットメディアの片隅に見つけた。表彰式でメインポールに上がる日の丸に合わせて君が代を斉唱したという。動画もあった。(クリックでYouTubeheへ)

https://youtu.be/fpo97CDdlF0

 

 

余韻も冷めやらぬ翌日にはスピードスケート女子500メートルで小平奈緒(31)が五輪新記録で金メダルに輝いた。彼女は八ケ岳の我が山墅のちょうど反対側の茅野市の出身で、そこの小さな病院が勤務先である。直線距離で4キロもない近しさをおぼえるが、何より感動したのは、試合後ライバルでこの種目3連覇を期待されていたが銀メダルに終わった韓国の李相花(イ・サンファ)の肩をだいて共にそれぞれの国旗を背にして会場を回ったシーンだった。

 

2006年五輪トリノ大会で日本女子に初の金メダルをもたらした荒川静香が今も称えられるのは、日の丸を掲げて場内を一周する姿を日本人は皆覚えているからである。ずり落ちそうなパンツ姿で「オリンピックを楽しみたい」とチャラい姿で登場しては消えていった若造などまっぴらなのだ。

金メダリストはその競技の勝者であるばかりでなく、研鑽して精進して、己に勝った勝者ゆえに、皆高邁な哲学を身につけているのも共通している。

例えば、羽生選手は、「正直に言えるのは、もし何もなくて、けがをするまで順風満帆でうまくいっていたら、たぶん今回の五輪で金メダルをとれていなかった。いろんなことを学んで、生かせたのが勝因だと思う。ただ、今幸せだから、またすぐ不幸がたくさん起きて、つらい時期が来るんだろうなと。でもきっと、それは次の幸せのためのステップだと思う」

小平選手は「金メダルをもらうのは名誉なことですが、どういう人生を生きていくかが大事になると思う」。 (レース直後に小平と李が2人の会話の内容について)「彼女が”良い記録を出したね”といい自分も”あなたに学ぶ点が多かった。リスペクトしているよ”と言いました」。李相花選手について「人としてもスケート選手としても尊敬できる友達」と説明した。

韓国の文在寅大統領は平昌五輪で北朝鮮との融和を演出するためさんざん利用した。国連の制裁決議をないがしろにする行為を表でも裏でも繰り広げた。北の美女軍団には竹島入りの統一旗すら掲げさせた。それらの愚行を、日本選手たちは日の丸と君が代を会場のあふれさせることで一掃してくれた。

小平選手は言った「今回で彼女(李相花選手)との友情の絆が深まった」。

日韓合意は彼女たちの方がきちんと遵守している。

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