漁港の岸壁を1㍍もかさ上げした結果

先週末福島県相馬市を訪ねてきた。親戚の集まりがあったためで、しばらく会っていなかった人たちと楽しい一夕を過ごした。ほとんどは7年前の東日本大震災の少し前に会って以来で10年ぶりの再会だ。

翌日津波に洗われた漁港や子供の頃海水浴に行った松川浦の海水浴場を見てきた。長年閉鎖されていたが、今年初めて海水浴場として海開きが行われるという朗報にも接した。

東京にいても復興の進み具合は大体わかるものである。10年前相馬のずっと手前で下ろされた常磐高速は遠く仙台以北にまで伸びたり、被災者が多く避難している山形県米沢市と相馬の間は無料の高規格道路がつぎつぎ開通して以前3時間かかったのが今2時間だということも知っていたが、今回出席の米沢組はそれを走って来たという。

現地からの報道にときどき首をかしげるものがある。故郷に戻る人は3割もいないと報道されるが、職場がないのだから当たり前であろう。たまたま被災地に仕事場があって住まっていた人を呼び戻そうたって、それは無理筋だと思っている。「復興未だし」という記事を見るたびに無智な記者のなんと多いことよと嘆いていた。

ほとんど無駄でしかない除染に3000億円も費やしたり、補償金で居酒屋とパチンコ屋が盛況だという不都合なことは現地の記者は書かない。今回東京にいてもわかる不都合な現実の一つを見てきた。

相馬に限らず津波被害にあった漁港は最優先の復興事業として工事が急がれ、立派な漁港が出来上がっていた。しかし皆岸壁の高さが異様に高いものがつくられている。なぜか。

東日本大震災では東北3県の太平洋側が1メートルほど沈下した。震災直後の報道で海水に洗われる漁港や魚市場の写真を多く見せられたものだ。このため復旧工事では一斉に岸壁、防波堤、堰堤の高さは1メートル以上積みあげられた。

しかしその後3年間で、今度は70センチも上昇した。こんなことは高校で地学を専攻した生徒ならみな知っていることである。例えば国会前にある「日本水準原点 」は日本の土地の標高をはかる基準だが、東京湾の平均水位から当初は、零目盛りが「24.5000」メートルになるように水準原点を設けたが、大正12年(1923)9月1日の関東大震災の影響で86.0㍉㍍沈下したため、1928年に「24.4140メートル」に改訂され、さらに2011年3月11日の東日本大震災で24.0㍉㍍下がったため現在は「24.39メートル」になっている。

漁船から見上げるような高さの相馬漁港の岸壁

つまり大地震ではいったん1メートル下がっても3年くらいで70センチ上昇するものなのである。水準原点が修正されたように現在は以前にくらべて2,30センチ沈下した程度であろう。それなのに、被災地では誰が設計したのか、みな「1メートル沈下」でできている。その結果どうなったか。今回相馬漁港とその南側の漁港を見てきたが、ご覧のように接岸している漁船のはるか上に岸壁がそそり立っている。これは干潮の時に出かけた「最大値」とはいえ、満潮でも魚を陸揚げするにたいへんな力がいるだろう。クレーンを使う必要があるくらいに見えた。

毎度お涙頂戴式のニュース原稿が流れてくるが、現場に足を運ぶのが新聞記者のイロハのイである。こうした「愚行」はいつ誰が決定したのか追及してもらいたいものだ。森友問題などより重要だと思うが如何か。

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