また始まった朝日新聞の「徘徊」偽善

朝日新聞は《今後の記事で、認知症の人 の行動を表す際に「徘徊」の言葉を原則として使わず「外出中に道に迷 う」などと表現することにします。今後も認知症の人の思いや人権につい て、本人の思いを受け止め、様々な側面から読者のみなさんとともに考え ていきたい》(2018年3月25日)そうだ。

朝日新聞とこの手の「心優しい人と集団」はこれまでも病名の言い換えに熱心だった。「精神分裂病」は人間性が壊れたように受け取られると学会ごと「統合失調症」と変えられた。「らい病」は恐怖心をあおると「ハンセン病」に、 「アル中」は「アルコール依存症」に変わったが、それで何か変わったか、と問いたい。

朝日の方針では、今後「徘徊老人」は「外出中に道に迷った老人」となるらしいが、「盲人」を「目の不自由な人」と言い換えているNHKや民放同様、かえってタブー意識を高めるだけではないか。ことさら差別的に使うのは論外だが、この手のことは言葉をやさしく言い換えても、かえってわかりづらくするのは、上述のような病名の言い換え例をみても歴然だろう。

朝日新聞は医学用語だけでなく、ときどき意識的に日本語を強制的に「いじる」癖がある。政治用語ではかって「北朝鮮」を使わせない筆頭メディアであった。正式名称を書くべきだという論調に外務省も「相手国の要望」と相乗りして「北朝鮮」(朝鮮民主主義人民共和国)とながながと記述させた。当時政治記事を書くことが多かったブログ子も閉口した覚えがある。拉致や朝鮮総連の悪行が暴かれるとともに、世論を受けてあっという間に「北朝鮮」で片づけるようになったのは喜ばしいことだった。

朝日の言い換えを実践している自治体もある。東京都国立市では 徘徊を「いいあるき」と表現する。

《ひとりで外出し道に迷っ てしまう認知症の方を国立市では、「徘徊」と言わず「いいあるき」、「迷ってもいい、安 心できる心地よい歩き」と表現しています》(市報「くにたち」 から)

こういうのを独りよがり、という。「いいあるき」「「迷ってもいい、安 心できる心地よい歩き」が認知症による徘徊行動という現実からかけ離れたわけがわからないものになっている。朝日流「偽善」はまっぴらだ。

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