数年愛用していたコンパクトカメラが突然動かなくなった。充電もできなければ3週間ほど前に撮った孫たちの記念写真も見られなくなった。そこでニコンのサービスセンターに出かけたのだが、それからが大変だ。
新宿のビルの28階にある修理カウンターに行くと閉まっていた。「新型コロナ対策で何日まで閉鎖します。今後は予約の方のみで何日から電話で予約受付開始・・・云々」。数日後の「予約開始日時」に電話すると「機種は?」と問われてボディーにあるCOOLPIXP520を告げるとややあって「その機種は2014年発売ですが、2018年には修理受付を終了しています」ときた。
おいおい、そりゃあないだろう、どこが悪いか、修理できる程度の故障かどうかくらい見てもらえないか、と交渉するも「受付自体できません」の一本槍である。「製造してわずか4年で、故障したものは捨てろといういうことか」と聞いたが「申し訳ありませんが、修理受付はできません」の繰り返しである。
製造物責任法(PL法)では確か部品は10年間保管せねばならないと義務付けられていたはずだが・・・と調べたが、商品によって保存期間は違っていて、コンパクトカメラの場合「5年」である。買ったときはメーカー保証もついていたが1年である。1年で故障するカメラなどないだろう。要するに数年後、つまり何やかやトラブルが出る頃、そのときは「修理もしません。買い換えるなどしてください」という販売哲学、つまり使い捨て文化に毒されているのが、今の実態なのだ。
新聞社にいたころニコンもキャノンも技術者が毎日のように写真部を訪れてきて、即座に修理やメンテナンスの世話をしてくれていたものだ。それだけハードな使い方をしている職場だからだろうが、ニコンはとりわけカメラマンの間では信奉者が多かった。ボディーがキャノンより丈夫なこととシャープな画像ゆえのことだった。
韓国は慰安婦問題はじめ何かというと日本製品不買運動に走る。しかしそれを報じる韓国メディアのカメラ、ビデオの機材はニコン、キャノン、パナソニック、ソニーといった日本製品の名前のオンパレードである。それを奇妙に思わない韓国人というのも不思議だが、逆立ちしても自国で作れない理由は、レンズづくりである。群馬県・館林市でそれを家業にしている人を知っているが、レンズの研磨作業は精密で根気がいる。日本のカメラづくりを支えているのは家内工業的な零細なレンズ磨き業者である。その下地がないから韓国は太刀打ちできない。
カバンで「エルメス」といえば絶大な信頼がある。創業以来あらゆる部品は揃えられていていつでも修理を受け付ける。カバンの老舗は元をたどればみな馬具屋である。学生時代、馬術部にいたが何十年も前のエルメスの鞍があった。いつでも修理してくれるのは知っていたがフランスまで送る手間を考えると二の足を踏んで無理して使っていたものだ。ヴィトンもグッチも「物作り」の名声をかちえているのは,いつでも修理に応じる「信用」故である。
故障したカメラに戻るが、新聞社時代の同僚カメラマンに相談した。「今のカメラは少々のことでは壊れないです。家内の海外旅行で同じような事がありましたが、充電器を変えてみたらどうですか。630円ですからダメ元で・・・」と言われた。メールにあった互換バッテリーメーカーにネットで注文した。郵送されたものを着装すると、・・・なんと何事もなく動き始めた。バッテリーがヘタっただけだったのだ。
腹が立ってきた。日本の物作りの伝統は、過去日本人が営々と築いてきた「信頼・信用」の上に依って立っている。その伝統がカメラづくりの一角からくずれつつあると思う。