このところ日本の大学で教鞭をとる中国人教授が中国に一時帰国したところを拘束され、長期間尋問された上、そっと日本に戻っていたという事件が相次いでいる。これは何を意味しているのか。
一人は昨年7月から上海で消息不明となり、中国当局に身柄を拘束されていた東洋学園大学(東京都)の 朱建栄教授56)。朱氏は1957年、上海出身。86年に来日し、同大学教授を務める一方、在日中国人研究者らで作る「日本華人教授会」の初代代表として、日中関係について活発な言論活動を行っていた。大学の発表によると朱氏は昨年夏、情報機関である中国国家安全省に身柄を拘束され、日本での活動などについて事情を聴取されていた。朱氏は半年後の今年1月17日に解放され、高齢の実母の介護を兼ねて上海市内にとどまっていたが、その後日本に戻った。
朱氏は(1)研究者としての資料収集が中国の法令に触れていないか(2)相互理解を掲げた日中両国間での活動の内容-について、当局の調査を受けてきた。朱氏は同大学に対し、「研究者としての活動に不適切なものはなかった」との内容を述べているという。
朱教授はブログ子もテレビの中国関係のコメンテーターとして出ていたのを知っている。この人の癖で口の周りにいっぱいツバをためて、それこそ、口角泡を飛ばして語るしゃべリ方がおぞましく、すぐテレビを消していたので、判然とはしないが、そうとう中国一辺倒の発言だったように思う。それが中国官憲に拘束されるというのがもう一つよくわからない。
もう一人は神戸大大学院国際文化学研究科の王柯教授(57)。同教授は3月1~10日の予定で中国に出張していたが、帰国予定の10日に「母親の具合が悪くなったので様子を見に行く。10日ほどかかる」と日本の家族に連絡した後、所在が分からなくなった。家族が母親に連絡をとったが母親は元気で本人が訪ねて行った形跡はなかった。王教授は中国・新疆ウイグル自治区のウイグル族の研究などで知られる人物だというが、中国側が最も神経を尖らせている分野だけにその方でなにか問題行動があったのかと窺わせたが、こちらも2週間後に突然釈放されて帰国、25日夜、神戸市灘区の神戸大で記者会見し、現地警察に身柄を拘束されていたと明らかにした。
王教授は「研究の中で中国の法律に触れるような行動があり、取り調べを受けていた」と説明。今月3日から福建省泉州市でイスラム系少数民族の聞き取り調査をし、その途中の7日に拘束され調べを受けたが、起訴には至らないと判断され、24日午前中に解放されたという。
戦前戦後を通して日本でも公安警察が共産党関係者をこうした調べ方をした時代があった。釈放された人の多くは転向するか内通者として組織に戻るかの道を選んだ。公安ではこういうのを「転んだ」という言い方をした。2教授とも中国に家族を人質に取られているという弱みを握られている。常識では「転んだ」と判断されるケースである。まあ、今後の発言を見ていればわかることではあるが。
中共政府が日本国内の中国人をしっかり監視していることがこれでわかるが、100%の言論の自由を謳歌している日本人もしっかり監視しているのである。ブログ子はその監視対象の新聞社にいたので大連のホテルでその一端を経験した。