裁判原稿はいくつも書き、いろんな法廷を見てきた。人権派弁護士が手柄を競い、多くの死刑確定囚に再審請求する風潮をどうかと思っている一人だが、今回の袴田事件ほどひどい冤罪事件は見たことがない。証拠を捏造したと思われる警察・検察官、そして素人でもわかる証拠品を前にして漫然として死刑判決を下したこれまでの7人の裁判官の罪は重い。
死刑囚の再審が認められるのは6例目である。異常に多い。このブログでも以前書いたことがあるが、戦後すぐの国警時代から県警時代に移行したあたりの事件が多い。それまでの自白偏重から証拠第一の科学捜査に変わったあたりだが、現場ではまだ自白がとれたらもう事件はおしまいという雰囲気が続いていた。証拠集めも証拠保全もおろそかで、それがのちのち法廷での審理に耐えられないというケースだ。
ところが今回は法廷で求められる証拠を捏造した疑いがあるという。これはもう警察の犯罪である。死刑囚はみな無罪と言われてもいいわけができない。そうではないことを知っているが、今回再審が認められるに至るまで2つの幸運がある。一つは裁判員制度とともに証拠品開示請求ができるようになり、それまで検察側が隠し通すことができた証拠品を出させることができるようになった。今回600点にもなる。もう一つはDNA鑑定の技術が進んだこと。10年前の再審請求時には古くなった遺留品からの検出はできなかったが、現在はできる。
今回の裁判で明らかになったが、警察が1年後に味噌樽から見つかったとするシャツやズボンの血痕の不自然さは素人目にも一目瞭然である。1年も味噌漬けになっていたらシャツは真っ黒であれほど白地があるわけがない。途中の裁判では裁判官はこの遺留品を見ているわけで、味噌漬け布地の異常な白さになぜ気づかなかったのか。
ブログ子は新聞社の静岡支局長をしていた時期がある。現在は静岡市と合併しているが当時は清水市で、そこの袴田事件(当時の事件名は「清水市の味噌会社専務一家4人殺害事件」)ファイルを見た。ただ死刑が確定した後だったし当時は昭和天皇の御不例に備えて県内関係者名簿のチェックが優先で、袴田事件の方は不思議に思わず、その時にコメントを取る関係者の連絡先を整理するにとどまった。
すでに無罪を訴える声があったのに調べなかった不明を恥じるばかりだが、釈放された袴田巌さん(78)は東京拘置所を足を引きずりながら出てきた。48年間死を目前にする生活で認知症に似た拘禁症状もあるという。ホテルに向かう途中にそれまで乗ったことがないクルマに酔い、しばらく休憩したという報道に言葉を失うばかりだった。
余計なことだが補償金は1億円に近い金額になるのではないか。できないことをわかって言うのだが、冤罪に関わった捜査関係者と7人の裁判官に弁償させたい。