ノーベル平和賞の無惨

ブログ子はかれこれ20余年前から「八ケ岳の東から」というホームページを書いている。以下はその中の「ブン屋の戯(たわ)言」の中の「ノーベル平和賞と文学賞はいらない」というところの原稿として書いたものだ。そのまま転載する。

http://home.r07.itscom.net/miyazaki/bunya/tawagoto.html#novel

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「ノーベル平和賞はいらない」と何度も書いてきた。前述のごとくオバマ元米大統領の早すぎる受賞までを書いたが、その後もひどい受賞者が相次いでいる。

2020年11月に行われたミャンマーの総選挙では、アウン・サン・スー・チー国家顧問が率いる与党・国民民主連盟(NLD)の圧勝となった。事実上の国家元首として得意満面と言いたいところだが、世界からは平和賞の取り消しを求める動きさえ出ている。彼女は1991年にノーベル平和賞を授与された。当時、自宅に軟禁されていたスー・チー氏は、ミャンマーの民主化運動の旗手としてもてはやされていた。しかしその後、自国のイスラム教徒少数民族、ロヒンギャへの迫害にまったく関心を示さず、一向に収まる気配がないからだ。

ノルウエーでの授賞式で証書とメダルを手に得意満面のエチオピアのアビー首相
=2019年12月

とどめは2019年平和賞を受賞したチオピアのアビー首相である。隣国エリトリアとの紛争を終結させ、国内でも民族間の融和に努める姿勢が評価されたものだが、それからわずか1年後にエチオピアは内戦の危機に陥っている。混乱に率先して参加しているのがほかならぬアビー首相というのだから、もはや、何をか言わんやである。

複雑なエチオピアの内情について触れておく必要があろう。アフリカ全部が言ってみれば部族国家で、あちこちで殺戮を繰り返しているのだがこの国も例外ではない。 エチオピアを構成する民族は80近くもある。最大民族はオロモ人だが、それでも全人口の4割に満たない。エチオピアというと東京五輪のマラソンの英雄、アベベ・ビキラを思い出すだろうが彼もオロモ人だ。次に多いアムハラ人も3割弱。続くソマリ人やティグレ人はいずれも5%程度だ。

しかし、エチオピアの政治は30年近く「わずか5%」のティグレ人が支配してきた。2018年にオロモ人のアビー氏が首相となり改革を進め、ティグレ人が握っていた公安部門の力を奪った。汚職摘発で既得権を失い始めティグレ人は不満を強めた。北部ティグレ州の州都メケレというティグレ人の牙城を、オロモ人ら政府軍が攻め落としたのが今回の戦争だ。2週間ほどの間に数百人が犠牲になり、数千人が隣国スーダンに逃れた、戦闘では民間人が虐殺されたという情報もある。こうした残虐な戦闘の指揮をとっているのがアビー首相なのである。

呑気な日本人はすぐ「迫害されるティグレ人」というので同情するかもしれないが、その前にいたティグレ人というのもろくでもない民族である。

1974年のエチオピア革命で社会主義政権が誕生し、メンギスツ臨時軍事評議会(PMAC)議長が独裁者として君臨した。しかし、冷戦終結で後ろ盾を失い、91年に反政府武装勢力「エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)」によって打倒された。このEPRDFの主力がティグレ人であり、今回の内戦で政府軍と戦ったTPLFだ。北部ティグレ州の支配勢力であり、2012年の死去まで20年間エチオピアを恐怖支配した故メレス首相を支えてきた。

アビー首相は11月30日、逃亡したTPLF幹部を徹底的に追跡すると宣言した。同じ日にTPLFの指導者デブレツィオン氏もAFP通信の取材に応じ「侵略者がティグレの地にいる限り」戦闘は続くと述べた。TPLFは政党だが、旧ソ連のスターリンをまねた粛清で反対派を殺害し続けたメンギスツ政権を力で倒した武装勢力でもある。今後も血で血を洗うゲリラ活動を続けるだろう。

どこが「ノーベル平和賞」かと思う背景だが、さすがにアビー首相にノーベル平和賞を贈ったノルウェー・ノーベル委員会は反省したか、声明で「激化する暴力を終わらせ、意見の不一致や紛争を平和的な手段で解決」するよう呼びかけたが、平和賞を廃止したほうが早いのではないか。

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