会場は、五輪本番と同じ東京アクアティクスセンター(東京都江東区)。リオデジャネイロ大会に続く2度目の五輪切符を懸けた100メートルバタフライ決勝に、池江璃花子選手(20)は「ただいま」と言って臨んだ。出場できるだけで幸せだった、その日本選手権で優勝し、東京五輪の代表に内定した。
2019年2月に白血病を公表して闘病生活に入り、苦闘の末退院したものの体重は15キロも減った。自他共に今年の東京オリンピックは到底ムリと思った。本人も準決勝後に「しっかり上位に食い込めるようにしたい。今の自分は前から言っている通り、この東京五輪がメインではない。しっかり経験を積んで、準決勝よりも速いタイムで泳げたらいい」と話していた。
ゴール直後、電光掲示板を振り返り、自身の優勝とタイムを確認。左手を水面にたたきつけ、何度も右手でガッツポーズを作った。 「うれしさとか、色んな感情がこみ上げてきた」。直後のインタビューでは何度も涙を拭い、「つらくてしんどくても、努力は必ず報われるんだなと思いました」。練習再開からわずか383日。日本のエースは、再び世界の舞台に立った。
ゴーグルを外した瞳には涙があふれ、プールサイドで声を上げて泣いていた。ブログ子ももらい泣きした。もっと泣いても許されるよ、と画面に声を掛けていた。池江より10ヶ月後に膵がんの手術を受けて退院したものの体重は以前より22キロも減って、階段の上がり下りにも手すりを掴む始末だった。より体力を必要とする水泳選手だから、このレースがどれほど過酷なものかよく分かる。
練習再開から1年あまりでの華麗な復活劇だったが、世界の厳しさを知る池江は「このタイムで世界と戦えるかといったら、そうじゃない。さらに高みを目指したい」と、世界を見つめている。
彼女のためにも何が何でも東京オリンピックを開催させなければならない、多くの人がそう思ったに違いない。
この日、もう一つの男の涙を見た。
柔道の世界選手権(6月・ブダペスト)代表最終選考会を兼ねた全日本選抜体重別選手権最終日(福岡国際センター)で男子60キロ級で古賀玄暉(旭化成)が初優勝した。決勝で竪山将(パーク24)に延長の末、合わせ技で一本勝ちして初優勝した。
古賀は3月に53歳で亡くなったバルセロナ五輪金メダリスト、古賀稔彦さんの次男。同じ大会で父は87~92年に71キロ級、95年に78キロ級を制していて父子優勝を果たした。18年世界ジュニア選手権覇者の古賀は、父と同じ日体大を先月卒業し、4月に実業団強豪の旭化成入り。3月は父の看病と稽古を同時並行でこなしながら、今大会に向けては「全ての力を出して、思い切った柔道をする」と誓っていた。1回戦は送り襟絞めで一本勝ち。準決勝では大内刈りで一本勝ち。
父親は豪快な豪快な背負投げでファンを魅了した。それと同じく、オール一本勝ちを果たした古賀は、「何も恩返し出来ずに亡くなってしまったので、何としても優勝したいという気持ちで戦った。うれしい」と話して涙。父の生前は、試合の合間に必ず電話で連絡をもらっていたそうで、「それがないのは寂しかったが、覚悟は今まで以上に強くなっていたので、最後まで勝ちきることができた」と語った。
アスリートの涙は美しい。