3月31日でボーイング747「ジャンボ」が姿を消すというのでテレビ・新聞は就航44年を振り返る企画で一杯だ。ブログ子はこの397トンある巨体を操縦したことがある。もちろん実機ではなくシュミレーターでだが、羽田空港で着陸に失敗炎上させた。
なくなるといっても日本の航空会社からで、羽田には外国航空機がまだ離発着するし、何より政府専用機や日本航空貨物のジャンボがまだしばらく飛ぶ。嫌いだが流行り言葉風でいえば「私的」には、「ジャンボ」と、あとはプロペラ機だが初の国産航空機「YS-11」、今も豪まで消えたマレーシア機の捜索に出かけている「P-3C」機、これまた現在沖ノ鳥島での作業船転覆事故で出動している海上自衛隊の救難飛行艇「US-2」が、戦後の日本の空の名機だと思う。「US-2」以外みな乗ったことがある。
「ジャンボ」の初就航は昭和45年の7月ハワイ便だ。ブログ子はその3カ月前に新婚旅行でハワイに行ったばかりだったので地団駄を踏んだ。その時ホノルルの日本人観光客はパラパラだったが、「ジャンボ」による大量輸送時代に入りワイキキは日本人で溢れかえった。自分のサイト「八ケ岳の東から」で「JALジャンボ機御巣鷹山に消ゆ」 を書いたが、この時の犠牲者520人は未だに破られない航空機事故のワースト記録なのも、その大座席数ゆえである。今回引退に至ったのも燃費が悪い4発の大型ジェットエンジンのせいでなにかにつけその「大型」が足を引っ張った。
地球上の大抵のところに直行できるという遠距離飛行力は、それまで主流だったアンカレッジに給油のため一時着陸する必要がなくなり、アンカレッジをたたの地方空港にしてしまった。
テレビに登場した現役パイロットが「ジャンボは手動で動かすところが多くてその分飛ばしているという実感がある」と語っているのを見て驚いた。自衛隊のブルーインパルスで戦後3本の指に入ると言われた名パイロットD氏と親しかったが、彼はその後JALで主に「ジャンボ」に乗っていた。内輪話を聞いたが、離陸してしまえばその後は操縦桿に足を乗せてコーヒーを飲んでいる、と言っていた。途中経路をインプットしてしまえばあとはほとんど自動操縦という最新の計器飛行ができるのだが、現在はさらに自動化が進んでいるということだろう。
ところでブログ子の「ジャンボ」操縦記だが、シュミレーターを房総沖からセットしてもらって羽田着陸を目指した。操縦桿を引けば機体は上に、左に回せば左に旋回という簡単さ。それに合わせて窓の外の景色は実機と同じく展開する。左回りで羽田沖上空に達し、浮かぶ漁船を見ながらゆっくり下降させた。右の表示板には機体の傾きと高度が正常なら緑の枠の中に刻々と数字と後ろからみた機体の形が浮いている。下げて滑走路に車輪を落としたらガツンと小さな衝撃音とバウンドが伝わってくる。すべて実機と同じ再現ぶりだ。ところがスピードが早過ぎる。右足の下のブレーキを踏んだ。するとどんどん機体が右に行き、滑走路を外れてバウンドしながら芝生の上を走り、ついには機首を突っ込んで炎上した。ものすごい音と衝撃。汗で手がビショビショ。パイロットが教えてくれたが、ブレーキと思ったのは垂直尾翼を動かすものだった。