岸田文雄首相は文化審議会が世界文化遺産の国内推薦候補に選んだ「佐渡島の金山」(新潟)について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦する方向で最終調整に入った。政府高官が28日、明らかにした。韓国が戦時中に朝鮮半島出身者らへの「強制労働」があったなどと反発を強め、外務省が見送る方向で調整に入っていたが、自民党内や地元の意見も踏まえた。
首相は同日午後にも官邸で林芳正外相や末松信介文部科学相と協議し、決定する意向だ。さらに、その後記者団に推薦の理由などを説明する。(産経)
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ブログ子は親中韓で煮え切らない林芳正外相と外務省には腹を据えかねていた。韓国のデタラメな主張を是認するようなら金輪際自民党を許さない、と考えていた。左翼メデイアには自民党右派と呼ばれていたが安倍晋三元首相や高市早苗政調会長の「蹶起」が奏を効したようで、まずは筋を通す事になってよかった。
ユネスコに世界文化遺産に登録するため、推薦書を提出しなくてはならない期限は2月1日と迫っていた。ところが、外務省はなにを血迷ったか推薦の見送りを検討していた。朝鮮半島出身者が過酷な労働に従事したとして韓国が反発しており、令和5年の登録が見込めないというのが見送りの理由だ。
これはウソであることは高市早苗政調会長の1月24日の国会予算委員会での質問で明らかである。韓国外務省は「朝鮮半島出身者が強制労働させられた被害の現場だ」などとして即時撤回を求めているが、言いがかりも甚だしい。
申請対象は、あくまでも「江戸時代まで」だ。韓国が問題視する戦前、戦中とは時期が異なる。そもそも強制労働の現場だったとする認識自体が事実誤認だ。昭和15~17年に朝鮮半島出身者約1千人が佐渡金山で働いていた事実はあるが、給与などは支払われていた。江戸時代までと区切らなくても、韓国には理がない。政府は昨年、朝鮮半島出身者の強制労働の有無について「募集、官斡旋(あっせん)及び徴用による労務は、強制労働には該当しない」との答弁書を閣議決定した。推薦を見送れば、これを否定することになる。
高市早苗氏は
「今年(2022年)に出さないのであれば、もう来年以降は出したらいけないと思います。2月1日に政府から佐渡金山をユネスコに推薦していただければ、来年6月には結果が出るわけです。来年の夏を過ぎてしまいますと、ユネスコ世界遺産委員会の委員国のなかで任期切れになる国が出て、来年の秋からは新たに韓国が委員に入って来る。余計困難になる。」
「来年の6月に決まるということで、いまから約1年4ヵ月もあります。ユネスコ世界遺産委員会の委員国は21ヵ国で構成されています。そして、最後に多数決で3分の2以上の票を獲ればいいのです。つまり14ヵ国が賛成すればいい。日本も委員国ですから、そのうちの1か国は日本です。残り13か国にしっかり説明して納得してもらえばいいので、絶好のチャンスだと思います」
彼女の言うとおりである。これまで日本は慰安婦や長崎端島の「軍艦島」での戦時労働者についてきちんとした反論をせず中途半端な対応をしてきた結果、問題はこじれにこじれた。
ブログ子の父は佐賀県唐津市の出身である。親戚には端島炭坑で働いていた人もいて、朝鮮人も同じような待遇を受け仲良く運動会や島内の娯楽に参加していたと聞いていた。「慰安婦問題」ではこと売春だけに自ら名乗りてるものはいないから、挺対協の尹美香に日本からの拠出金をいいように利用されて、スーパーの己の買物代までピンはねされた。しかし「軍艦島」ではまだ大勢の元島民が生存しているから、証言者は続々と現れた。
真実は明らかになると思われたが、ゆすり・たかりを常習とする韓国は「強制労働」というウソを反日のマスコミと政府は改めようとはしなかった。NHKまでありえない「半裸で坑内でツルハシを振るう炭坑労働者」という映像を流した。抗議を受けてもいまだに「よその炭坑という証左は見つからなかった」と抗弁している。呆れたものである。
以下は朝鮮問題に詳しい西岡力・麗澤大学教授のコラムからだが、「強制労働」など韓国側の大嘘であることがよく分かる数字だ。
戦時動員期間に240万人の朝鮮人が内地に渡航したが、うち動員渡航者は60万人で、180万人は自分の意思で渡航した自発渡航者だ(内務省統計)。その上2~3年の契約が終わる前に約4割が条件の良い職場に移るために逃走した。朝鮮から雪崩のような出稼ぎ渡航があったのだが、それを戦争遂行に必要な事業所に秩序だって送ろうとしたのが戦時動員だった。「強制連行」「強制労働」などとは異なる歴史的事実だ(詳しくは西岡力編『朝鮮人戦時労働の実態』産業遺産国民会議)。
佐渡金山における朝鮮人戦時労働の実態について書こう。39年から行われた戦時動員で合計1519人の朝鮮人労働者が佐渡金山で働いた(平井栄一編『佐渡鉱山史』)。うち66%にあたる1005人は佐渡鉱業所の募集担当者が現地で行った「募集」に応じた者たちだ。第1陣の募集では「一村落二〇人の募集割当てに約四〇人の応募が殺到した」(相川町史編纂委員会編『佐渡相川の歴史・通史編・近現代』)という。
待遇も悪くなかった。賃金は内地人と同じ、坑内夫は採掘量に応じた出来高払いで、「精勤賞与」「勤労賞与」もあり、契約を更新すると奨励金が出た。家族持ちのための家族宿舎、単身者のための寮は無料で、1食50銭(実費不足分は会社負担)で食事が出た(佐渡鉱業所「半島労務管理ニ付テ」)。労働者のために鉱業所が直営農園で甘藷(かんしょ)、馬鈴薯(ばれいしょ)、野菜を栽培し養豚をしていた(新潟日報42年4月8日)。
終戦時には1096人が残っていたが、45年12月までに数人の佐渡在留希望者以外全員が帰還した(『佐渡相川の歴史』)。最近、韓国マスコミはきちんと賃金をもらっていなかった証拠だとして鉱業所が49年2月25日に朝鮮人労働者1140人に対する未払い金として23万1059円59銭を供託していた記録が見つかったと大きく報じた。しかし、これは反対に待遇がよかった証拠だ。
韓国の学者、李宇衍氏は45年の朝鮮人労働者の賃金は「少なくとも月一二〇円」(『反日種族主義との闘争』)と推計。未払い金は1人当たり203円で、2カ月分の賃金にもならない。退職手当や賞与なども含め、1人当たり1カ月分程度の賃金の未払いが戦後の混乱で生まれ、鉱業所は供託という手続きで、できる限りの対応をしていたことがわかる。
韓国相手にこれまでのような轍(てつ)を踏んではならない。歴史的事実を突きつけて、世界の世論に訴える努力をすべきときである。