北京五輪冬季大会が4日から始まる。しかしさっぱり盛り上がらない。昨夏の五輪でも採用されたコロナ対策の「バブル方式」(大きな泡で包むように、選手やコーチ・関係者を隔離、外部の人達と接触を遮断する)で取材する方も「ホテルと練習会場・会場以外には移動できない」こともあるのだろうが、直前1週間のテレビは消毒液まみれの様子ばかりで、見る気もしなかった。
しかし、その他の「雑報記事」では面白い側面を見せてくれている。その一つが、翡翠(ひすい)の「翠」の字が「禁止用語」になっているという。翡翠は中国と日本で特に珍重される宝石で、今大会の金銀銅メダルは、2008年の北京夏季大会と同じデザインで、安徽省で発掘された古代中国の翡翠の飾りを描いている。「五千年の偉大な中華文明」を象徴したつもりなのだろう。
では現地でどう扱われているか知りたいところだが、我が古巣の産経新聞はじめどこの特派員もそれに触れた記事を見ない。すこし説明が必要だろう。
中国語では翡翠の「翠」は、「羽」の下に「卒」が付いている。これが大問題なのだ。簡体字では「羽」も習近平の「習」も「习」となる。簡体字というのは字画が多い漢字だと庶民の教育普及に差し障りがあるからと、1950年代に創出した3000字あまりの「漢字」である。中華の「华」とか、「習」近平の「习」がそれにあたる。
「卒」 は中国将棋で日本の将棋の「歩」に当たる駒で、「小者」も指している。また「死」という意味もある。だから「习」が二つに「卒」で「習近平は2度死ぬ」「くたばれ習近平」という意味になる。これはまずかろうと、習近平の近習たちが忖度したのだろう。
何やらWHOのテドロス事務局長の忖度で、今猖獗を極めている「オミクロン株」の命名騒ぎと似ている。「オミクロン」は、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタから始まって、 オメガで終るギリシア語のアルファベットだが、この株が南アフリカ共和 国で登場した時に、インド生まれのデルタに次ぐニュウの順番に当たって いた。だが「ニュウ」と命 名したら、英語の「新しい(ニュウ)」と混同 するから一つ飛ばすほかな かった。
で、その次がクサイ「Xi」(ヅィ)だったが、習近平の中国語の発音が「Xi Jinping(ヅィ・ジンピン)」である。「Xi(ヅィ)株」ではまずかろうとテドロスが忖度して一字あとの「オミクロン」になった。
習近平のオリンピックを利用した「唯我独尊」は台湾問題でも露骨だ。台湾代表団の漢字表記は、妥協の産物ではあるが「中華台北」とされ、昨夏の東京五輪でも踏襲された。それを中国は今回、「中国台北」と勝手に変えた。一字違いで大違い。台湾が「中国の一部」であるとの印象を世界に植え付けようというわけだ。
開・閉会式で読み上げられる国名で「台湾」の呼称が一切排除されることを察知した中華五輪委は、開閉会式不参加を表明したが、国際オリンピック委員会(IOC)から「五輪憲章では参加する各国・地域は、関連式典への参加を含む責任を果たすべきだ」と圧力を受け翻意をやむなくされた。仲裁に入るべきIOCの「ぼったくり男爵」の異名をとるバッハ会長が中国一辺倒なのだから何をか言わんやだ。
ウイグルでの人権侵害を理由に自由主義諸国は北京五輪の「外交ボイコット」に踏み切った。かくて開会式には、ロシアのプーチン大統領やカザフスタンのトカエフ大統領ら世界の「悪役」たちと、中国の「債務の罠」にハマっているアフリカ諸国が勢ぞろいする。
違和感はもう一つある。禿山に人工雪をまいた競技会場である。中国北部にある北京の冬は日中でも連日マイナスだが、スキー場が開けるほど雪は降らない。北京周辺の2月の降水量は1カ月で4ミリほど、降水日数も月に3日ほどしかない。土台、冬季五輪会場には不向きなのに、「北京が夏季、冬季両方の五輪を初めて開催する都市」と自画自賛したいがために無理無理招致した。
万里の長城の観光基地である八達嶺からさらに北側にある2つの街、いわば「北狄」の地に、約300基の人工降雪機「スノーガン」を使って人工雪をまいた後、専用のトラックでゲレンデなどに広げる。人工降雪機自体は、過去の大会でも韓国の平昌五輪など雪が足りない部分に補充したりするのに使われているが、会場のほぼ全体が積雪ゼロの地に人工雪をばらまいての会場設営は北京が初めてである。
こうした人工雪は環境の観点から持続可能ではないとの批判も当然上がる。中国側は「造雪機は再生可能エネルギーで駆動しており、周辺の山の生態系を損なうことなく、使用した水は春の雪解けで地元の貯水池に戻る」と説明している。まあ、これを信じる者はいないであろう。「グリーンな大会を目指す」という北京の宣言に反すると指摘するのは仏ストラスブール大学のカルメン・デヨング教授(地理学)は、水が少ない地域で大量の電力と資源を使って雪をつくることは「無責任」だと非難。「それなら月や火星でも五輪を開催できる」と皮肉った。
冬季五輪そのものへの疑問もある。選手がスキー板のスポンサー企業のロゴをこれみよがしにカメラに向かって差し出すことから始まった商業主義は当初は批判的だったものの、今では当たり前の行動になった。リュージュやボブスレーのような競技は山の斜面に何万という氷柱を張り詰めてつくる。ジャンプ台を作るにもカネがかかる。まともに冬のスポーツと言えるのはノルディックぐらいのものである。
加えて温暖化である。このまま気温が上昇すると過去の会場、シャモニー、ソチ、アルベールビル、ソルトレイクシティ、バンクーバー・・・みな雪なし都市になるという。予測では2050年には積雪量を満たす冬季五輪会場は札幌市だけになるという。
ブログ子は1972年の札幌冬季大会のとき取材で大倉山のジャンプ台で繰り広げられた笠谷幸生以下「金銀銅メダル日本独占」の現場にいた。街中にトワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」が流れていた。札幌は次の冬季五輪に立候補しようとしている。人工降雪機頼りの会場への批判は更に強くなるだろうし、立候補しようにも雪がないところばかりである。
遠からず札幌招致は実現するだろう。ロシアとか中国の独裁国は必ずオリンピックを自国体制の宣伝の場にする。オリンピック精神を忠実に守る大会運営ができるのは日本だけである。