4月2日 チリ北部沖でマグニチュード(M)8・2の地震が発生、気象庁は3日午前3時、北海道から千葉県までの太平洋沿岸に津波注意報を発表した。津波の予想高はいずれの地域も1メートルだったが、午後0時22分岩手県の久慈港で60センチを観測したのが最高でいずれも被害を出すには至らなかった。
5年前のチリ大地震ではたかをくくって500人の死者を出したのでチリ政府は今回最大限の警戒態勢をとり、倒壊による数人の死者と怪我人以外津波による犠牲者は出さずにすみそうだ。フィリピンではわざわざ見物に海に近づいた人で死者を増やした。日本では自主的に避難所に入る人もいるほどで、津波に敏感なのは日本人だけかと思いがちだがそうではない。ブログ子はハワイで行き届いた避難対策を体験したことがある。十勝沖地震は何度も大きいのがあるが、1980年代のM7・1の浦河沖地震だと思う。日本ではほとんど被害は出さなかったが大きな揺れだったらしい。「らしい」というのはこの時飛行機に乗っていた。発生は成田離陸直後だったので知る由もなく、早朝ホノルル空港に到着したが、物々しい雰囲気だ。
空港で聞くと「日本で大きな地震がありまもなくハワイにTSUNAMIが来そうだ。閉鎖されていて街には入れない」という。無理やりバスに乗せられてヌアヌパリ展望台に連れて行かれた。ここは以前新婚旅行で来たことがあるが、900メートルの崖の上にあり街並みと、太平洋が一望できる観光の名所である。その時は家内が強風で吹き飛ばされそうになったのだが、この日は穏やかで、すでにクルマで上がってきた大勢の人が海を眺めて今か今かと津波を待ち受けていた。
結局津波は30センチほどで警戒態勢は解除されたのでホテルに向かったが、そのとき通りかかったパイナップル畑は観光客を全部締め出し、従業員も避難していた。海に通じる道路は警官が遮断していた。ホテルに着くと「今整理中だ」とまた待たされた。その一人に聞くと、ホテルの1階の部屋にいたのだがTSUNMI警報と同時に3階の同じ番号の部屋の人と相部屋になった。2階の人は4階の同じ番号にという具合だという。フロントにはライフジャケットの山もあった。
よく言われることだが日本やハワイは太平洋というタライ(盥)に浮かぶ小島のようなもので、一旦地震が起きると波がぶつかり合う。浅くなるほど波のせり上がりは大きくなる。ハワイの人はそれを良く自覚していて上述のような避難マニュアルが行政、警察、施設で自動的に実施されるという。
中心になっているのはハワイのオアフ島にある太平洋津波警報センター(Pacific Tsunami Warning Center, PTWC)だが、ここはハワイとアラスカで165人の犠牲者が出た1946年のアリューシャン地震を受けて、1949年に設立されたアメリカ海洋大気庁の施設。今回日本の気象庁は、ここの観測データとシミュレーション結果を付き合わせることで「最大1メートル」と予測した。
ブログ子がヌアヌパリに避難して太平洋を眺めていた時は津波の高さはまだ予測できなかった。着々と進歩しているのである。