地政学的に日本ほど「ろくでもない国」に取り囲まれている国家は世界でもまれだ。ロシア、中国、北朝鮮は言うに及ばず韓国含め、まさに現代の悲劇といって良い不運な取り合わせである。
そのロシア軍は24日ウクライナへの攻撃を開始した。ウクライナ外務省は、同国内の複数の都市が攻撃を受けたと発表した。首都キエフがミサイル攻撃を受けているという。バイデン大統領が世界大戦まで覚悟していないということを見抜いての強硬姿勢である。東部親ロ派地区を国家承認するなどなど明らかに国際法違反だが、そんなもの気にする国ではない。現にプーチン大統領は22日、記者会見で、ウクライナ東部の紛争をめぐる停戦や和解プロセスを定めた「ミンスク合意」について「もはや存在しない」と述べている。
「ミンスク合意」というのは2015年2月、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4カ国による首脳会談で停戦に合意したもので、ウクライナの隣国ベラルーシの首都ミンスクで実施されたのでその名がつくが、れっきとした停戦協定にである。ロシアは歴史的に自国の利益のためには国際法など平気で反故にする国である。
例えば、太平洋戦争末期、ソ連は日本と「日ソ不可侵条約」を結んでいたが、日本がポツダム宣言を受諾した8月15日から3日後の8月18日になって、一方的に破り、クリル諸島北端の占守島に上陸を始め、自衛のため応戦した日本軍と激戦が交わされた。樺太電話局の女性交換手たちは最後まで仕事をして最後に「さようなら」の声で自決した悲劇も伝えられた。ソ連軍はアメリカ軍が来ていないか確認しながら南下し、北海道も危なかったが多くの日本人の反撃で押し返したのが現在の北方領土を含む、ロシアとの「国境線」である。
国際法などそのときどきの「便法」に過ぎないのがロシアのやり方なのは他にも例がある。1939年、不可侵条約を結んだナチスドイツとソ連は、両方からポーランドへ侵攻して分割占領している。いまソ連をロシア、ドイツを中国に置き換えたらよく分かる。台湾、尖閣、沖縄、北方領土‥ポーランドの悲劇は明日の日本になる。
中国も鄧小平の「一国二制度」という都合の良い理屈で、資本主義と共産党独裁という水と油をまやかしで固めて、「後進国」として世界からODAや世銀援助を掻き集めては、輸出大国にのし上がり、世界が気づいたときには東・南シナ海に巨大な軍事基地を作り上げ、「一帯一路」の美名でヨーロッパにまで触手を広げてきた。
これまた香港返還時に英国と約束した約束など平気で反故にして、民主派を強権で押しつぶして平然としている。韓国も然り。自由陣営にいるフリをしているが中国べったりで反日だけが生きがいである。文在寅大統領のクビはあと1ヶ月もたたないうちにすげ変わるが、韓国大統領選の保守系最大野党「国民の力」候補、尹錫悦(ユン・ソンヨル)前検事総長が、大統領に就任すれば文在寅政権に対する捜査を行うと宣言したことに震え上がっている。
北朝鮮にすり寄った以外5年間、政治的にも経済的にもなんの実績もない大統領である。慰安婦問題でもろくな解決策も示さなかった。安倍-朴槿恵の日韓の慰安婦合意は、韓国側は、もう二度とこの問題を国際的にも持ち出さない、最終的、不可逆的な解決とするということを確認した画期的とも言えるものだった。日本側は戦時中の軍部の関与のもとに多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけたことについて、政府は責任を痛感しているとし、法的な責任や人道的な責任ということについては明確に触れることは避ける代わりに、日本政府は新たに韓国政府が作る「和解・癒し財団」に10億円を拠出するとしたものだ。
ところが今後「たかり」の相手を失うと猛烈に挺対協が反対したのを受け、国際法違反もいいところのちゃぶ台返しをやらかした。韓国最高裁の長官に判決など一度もない書いたことがない男を据え、判事も反日派に入れ替えた。これだけでも文在寅に「死刑」判決がでてもおかしくない。もっとも韓国の「死刑判決」はすぐ恩赦になるようだが。
火がついたウクライナ問題から、国際法違反を常とする国々の話になったが、もう一度ロシアに戻る。
ブログ子は大学で露西亜文学を専攻した。卒論はチェーホフだったが、当然トルストイやツルゲーネフも読む。その時の体験だが、例えば「罪と罰」で主人公のラスコーリニコフが吹雪のなか次の旅籠までえんえんと喘ぎながら独白するところがある。この描写に原文はざっと30ページである。ロシア語は難しい。英語なら初心者でもすぐ辞書を引けるが、ロシア語だと変化がはげしく例えば20文字くらいの単語があっても元の語は3,4文字という具合。そもそもロシア語の辞書が引けるだけで「中級者」である。
えらく時間がかかる。ところが日本だとどうか。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」( 『雪国』川端康成)。一行だ。土台、日露で「息継ぎ」が違うのである。交渉事でもそうで日本人はロシア人に太刀打ちできない、と実感した。
北大には「スラブ研究所」があった。ロシアというのは多くの民族で成り立ち、まとめてスラブ民族という。ここには亡くなったが木村汎教授がいて、その民族性から言って、ときの日本首相に北方領土からロシアとのパワーバランスについて鋭い忠告をしていて共感していたものだが、多くはこの民族的「息継ぎ」論からこの国との付き合い方をアドバイスしていた。
新聞記者になってからもソ連大使館(当時)とはよく付き合った。シベリア鉄道にハバロフスカからモスクワまで記者を乗せる企画があった。汽車の4人がけのコンパートメントはKGBの息のかかった人間3人が来ることがわかっている。大使館の広報部長と会って「自然の出入りにしてくれ」と頼むだけに銀座で一晩付き合った。
強いのなんの。バー数軒はしごしたが毎度ウイスキーの瓶一本きれいに開けてしまう。部長と二人で相手したが、見送ったとあと部長は歩道に崩れ落ちた。2,3日あと警視庁の公安まわりの記者から「何軒はしごしたそうですね」とバーの名前を上げて報告を受けた。刑事に尾行されていたのである。向こうも同じことをやっていたのだろうが。
身近な経験からいうのだが、何かというと、「外交で」というばかりの、岸田首相と林芳正外相では、とても彼らに太刀打ちできるものではない。国土は広大だが、ツアーリ時代の農奴制を引きずっている中流国家に過ぎない国である。外交ではなく経済で攻めるほかない国だと思う。